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松平頼暁作品概観

松平頼暁が今年1月9日に亡くなった。91歳であった。
音楽に「情念」が入り込むことを忌避し、独自の「システム」や「ロジック」によって構築された、ドライかつ独特なユーモアを兼ね備えた作品群は、世界的にも類を見ない孤高の存在感を放っているが、音源化された作品は決して多くない(discogsに登録されている作品だけに限れば、同世代の武満徹が239作品に対して、松平は9作品のみ)。
今後未だ聴かれていない多くの作品が演奏、録音されることを願って、筆者が音源にリーチできる範囲のいくつかの作品について、様式別に紹介していく。


トータル・セリエリズム(総音列主義)

"父親(作曲家の松平頼則)が何回目かにヨーロッパに行った時に、ダルムシュタットに行って、ブーレーズの《ストリュクチュール》の解説を聞いてきた時のノートがあるんだけど、彼はフォローできなかったんです。私は《ストリュクチュール》の楽譜を見ながら完全に理解して、トータルセリエリズムをマスターした。そしたら後で父親が「《ストリュクチュール》のアナリーゼを教えてくれ」って言ってきて、私は教えましたけどね(笑)。"
松平頼暁はトータルセリエリズムを作曲の出発点とした。これは、ウェーベルンに代表されるセリエリズム(音高の厳格な組織化)を発展させて、音程以外のあらゆるパラメータ(音価、強弱、音色、空間配置、出現順序など)をも音列によって組織化する技法で、代表的な作曲家としては、ピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼンがいる。
松平がシステマティックな技法を追求した理由のひとつには戦争体験がある。
"戦争終わって間もなく、読売新聞に「日本は大和魂で負けたのではない。科学で負けたんだからなんだ恥じることではない」と投書が載ったんです。それで私は、この人が軽蔑する科学をやろうと思ったんです。"
"いちばん情念の活躍される場だと思われる芸術の分野で、どのくらい情念に拠らないでものが作れるか。"
一方で松平はブーレーズによるトータルセリエリズムの欠陥を指摘してもいる。
"ブーレーズの音価の関係を音高に直すと、それは倍音列になって、彼がいうように十二音音階にはならない。"
"各声部が音域的に錯綜しているので、聞こえて来るものは、基本的形態であるセリーではなく、それの織りなすテクスチュアである。"
後者に挙げた問題意識は、クセナキスによる確率音楽に直接通じている。
このように松平は、システマティックな方法論を用いながらも、徹底的にその可能性と限界を検証し、常に醒めた手つきでそれを取り扱う。これはシェーンベルクが十二音技法の考案について"これで今後100年間のドイツ音楽の優位が保証された"と語ったこととは対照的な態度である。

室内オーケストラのための「コンフィギュレーションI」(1961/1963年)

トータルセリエリズム期の最後期に位置する作品。原曲は飯島耕一の詩を伴う《ミクロコスモス》という作品(後に作品リストから破棄)であったが、そこから詩を取り除き、"バックグラウンドだけの音楽に転用した"のが《コンフィギュレーションI》である。乾いた響きの短い音群が、中断を挟みながらシステマティックに繰り返され、手続きが終わると共に楽曲も閉じられる。このCDは1967年の世界初演時の録音で、楽曲の後に指揮者の若杉弘が会場で松平を紹介する音声が収められている。

不確定性

1961年に一柳慧がアメリカから帰国し、日本の現代音楽会に所謂「ケージ・ショック」が起こる。多くの作曲家が様々な形でケージの「不確定性」、「偶然性」に影響を受けたが、ここまでトータルセリエリズムを追求してきた松平もその例外では無かった。
"従来、作曲者はミュージック・セリエルの技法を中止とする作品を書いていたが、何時迄も同一の地点に止まって、前進をためらうものではない。"
松平自身は、音楽における偶然性を、以下の4つのカテゴリーに分類している。
1. Chance 狭義の偶然性
 ケージらが開始。コイン投げで音楽の配列を決定したり、紙のしみを音符に見立てて作曲するなど、作曲家→楽譜の過程に偶然性がはたらくもの。その操作を「チャンス・オペレーション」と称する。
2. Indeterminacy 不確定性
 ケージらが開始。演奏者が、記号の書かれた透明な板を重ね合わせ楽譜を作りながら演奏するなど、楽譜→演奏者や演奏の過程に偶然性がはたらくもの。さらには、ラジオ受信機を演奏に用いる作品など、演奏者→音響過程に偶然性がはたらくものもここに含まれる。
3. Probability 確率
 クセナキスによる確率音楽。クセナキスは"線的多声法はその極度な複雑さの故に自らを破壊する。人が聞いているのは、実際には、様々な音域にある音の集まり以外の何ものでもない"としてセリエリズムを批判し、多量の音群を統御する方法論として確率を用いた。
4. Alea 賭け
 ブーレーズ、シュトックハウゼンら、トータル・セリエリスト達における偶然性。部分構造の入れ替えや、限られた範囲での不確定的なリズムなど、曲の細部に偶然性が取り入れられるものの、曲全体の意図や構造は作曲者によりコントロールされている、とされる。「管理された偶然性」とも称される。

コアクション(1962年)

チェロとピアノのための作品。ピアノの内部奏法、チェロのボディを叩く音、ピアノの蓋を開閉する音、奏者による発声など、様々な音色が登場する。"2人の奏者間の、音色群の組み合わせは、両者の相互反応(Co-Aciton)によって決められる"、"演奏順序が2人の演奏者に委ねられている"など、不確定性のカテゴリーとしては、上記4の「管理された偶然性」に近いか。

トランジェント '64(1964年)

"ヒトの周波数差弁別能力曲線に由来した旋法によっている。"
"この当時は偶然性の音楽というものが流行していて、器楽では偶然性の音楽ができるが、テープ音楽では偶然性の音楽はできないという意味のことを柴田南雄さんがおっしゃった。つまり器楽はmobileの音楽で、テープ音楽はstableの音楽であると…私はテープ音楽でmobileの音楽ができないかと考えたんです。"
NHK電子音楽スタジオで制作されたテープ作品。真空管発信器の発するグリッサンドの付いた発振音を、ヒトの周波数弁別曲線を10倍に粗くした曲線に沿って音階として用いている。松平が、アメリカのある作曲家にこの作品を聞かせたところ「人間の声を使っているだろう」と言って譲らなかったという面白いエピソードも伝えられている。

引用音楽

1965年から一年間、松平は米国に留学し、滞在中にロバート・ラウシェンバーグらによる「コンバイン・ペインティング」に触れる。この技法は、二次元である絵画のキャンバスに工業製品や廃品などを貼り付け組み合わせるというもので、"事物が無関係に存在していることを強調"し、そのことにより生じる"多様な異なった反応が作品の生命を長引かせる"とされる。松平はこれ以降、様々なレベルでの「引用」を自身の作品に取り入れていく。

コンボのためのオルタネーション(1967年)

”まわりの部分とまったく対照的だという以外には何の関係もない”という理由で、「乙女の祈り」が引用され、特殊奏法によるノイジーなパートや、リングモジュレーションによる電子音などと並置される。

アルロトロピー(1970年)

題名は「同素体」(ダイアモンドと黒鉛のように、同じ元素で構成されていながら原始の配列や結合様式が異なり、性質の異なる別の物質となっているもの)を意味する。様々な周期で単音やクラスターが連打され、「連打」が用いられている代表的な既存曲としてショパンの「雨だれ」が挿入される。ショパンは、松平の父である頼則が愛好していた作曲家であり、松平自身は嫌いな作曲家であったらしい。「オルタネーション」における「乙女の祈り」と同様、あえて嫌いな曲を引用していることに、松平の諧謔的な一面を感じる。

シアターピース

"ダルムシュタットで聞いたヨーロッパ人はわずか三人の例外を除いて低調そのものだった…私が三人の例外といったのはシュトックハウゼン、リゲティ、そしてカーゲルのことだ…少しでも新しいことを試みた作品は必ず足踏みと嘲笑で迎えられた。"
"現代の作曲家にとって…アクションというものに対して二つのアプローチの仕方がある。一つは、従来の演奏行為の延長としてのアクションである…もう一つのアプローチの仕方は、インターメディアまたはマルチメディア的な手法で、サウンド以外のメディアとしてアクションが加わるものである。"
アメリカ留学を経て、その後ダルムシュタットの状況を見聞した松平は、シアターピースの手法を取り入れた作品を作り始める。人を食ったような乾いたユーモアは、松平本来の美学的センスと相通ずるものだ。

Why not?(1970年)

奏者はあらかじめトランプのマークごとに四種類のアクションを決定しておき、トランプのカードをめくりながら、出てきたマークに従った演奏を次々に行なっていく。各演奏方法の持続は、トランプの数字に比例して決定される。この作品は、不確定性や引用音楽の一例として見ることも可能だろう。

新しい旋法性

1960年代後半から、ニュー・モーダル・ミュージックと呼ばれる音楽が現れ、無調を離れ、旋法性への回帰がみられるようになる。スティーブ・ライヒ、テリー・ライリー、フィリップ・グラスらのミニマル・ミュージック、フォルケ・ラーべ、ポーリン・オリヴェロスらによる自然倍音列や純正律を用いた音楽、デヴィッド・ローゼンブームやアルヴィン・ルシエらによるバイオ・フィードバック・ミュージックなどである。松平は、彼らの動向を横目に見つつ、全く異なる形で旋法性を取り入れる。

オシレーション(1977年)

マリンバとオーケストラのための作品。この作品は様々なレベルの「揺らぎ」(オシレーション)から成る。一つ目は調律による揺らぎ。オーケストラは三分音高い群と三分音低い群を含む三群に分割され、微分音程が干渉し合う。二つ目はリズムによる揺らぎ。1拍を5〜9分割するリズムが共存することで、モアレ状の複雑なリズムが生成される。三つ目が、この作品の最も大きな特徴と言える、音列の反復による揺らぎである。この作品は全音程セリー(1オクターブの全ての音を含むと同時に、隣接する音程が1オクターブ内の短2度〜長7度の全ての音程を含む音列)を用いているが、その扱いは極めて個性的。音列の数個の音を過剰に反復しながら、用いられる音が漸次的に音列内を移動していく(1・2、1・2・3、2・3、2・3・4、1・2・3・4……)。結果セリエルでありながら、聴感上は旋法的なミニマル・ミュージックのような独自の境地が生み出された。「全音程セリー」を「旋法的」に「反復」するというコンセプト自体が、メタレベルでの様々な技法の「引用」であることにも注目したい。全音程セリーの利用は、この後のピッチ・インターヴァル技法へと繋がっていく。

ピッチ・インターヴァル技法

全音程セリーを過剰に反復的に用いていた「新しい旋法性」の時代を経て、松平は自身の代表的な技法である「ピッチ・インターヴァル技法」に到達する。全音程セリーは3,856種(逆行を無視すれば1,928種)あることが知られているが、「ピッチ・インターヴァル技法」では、これらの全音程セリーのカタログから任意に或いは乱数を用いてセリーを選択し、オクターブ移行による音程の重複を避け(例外もあり)セリー毎の固有の音響を確保しながら、確率、乱数、引用など様々な技法を組み合わせつつ楽曲を構築していく。

24のエッセーズ(2009年)

ピッチ・インターヴァル技法に基づいたピアノ曲集。"奇数番号の各曲の基音は順次、一曲目のコードの音列の各音によっていて、偶数番号の各曲の基音は2曲目のそれにによっている。また奇数番号の曲のコードの一音目と二音目の音程は、一曲目は短2度、三曲目は長2度、五曲目は短3度••••••と拡大し、偶数番号の曲では、長7度、短7度、長6度••••••と縮小する。タイトルの頭文字は奇数番号ではABC順、偶数番号ではZYX順になっている。奇数番号の曲のコードは無調的、偶数番号のそれは旋法的である。"このように、かなりシステマティックに構成されている一方で、ビートルズのYesterdayの歌詞に新たに曲を書き、歌詞を取り除いた"Yestereen"、暗号に関する文書をモールス信号に置き換えたリズムを用いた"Codex"、シュトックハウゼンのピアノ曲I〜XVIIからコードが順次引用される"Legend"など、それぞれの楽曲で多様なアイデアが自由に展開されている。


松平頼暁の創作の歴史を(ごく一部ではあるが)俯瞰すると、一見正反対ともいえるスタイル間を自由に飛び回りながらも、実は一貫した創作態度が通底しており、誰よりもシステムの可能性と限界を知悉しているからこそ、厳格な規則の中に松平自身の美意識や感性が映し出され、年月を経ても古びることのない瑞々しい作品群に結実していることが分かってくる。
はじめに書いた通り、演奏あるいは音源化されていない数多くの作品が一日も早く日の目を見て、松平頼暁の創作史全体を把握できる時が来ることを切実に希望する。

参考文献
・松平頼暁, 現代音楽のパサージュ 20•5世紀の音楽, 青土社
・松平頼暁, 音楽=振動する建築, 青土社
・松平頼暁, 24のエッセーズ 楽譜, SONIC ARTS
・石塚潤一, 松平頼曉のための祝詞
・山澤慧, 松平頼暁:コ・アクションへの挑戦1
・洪水13号 特集 松平頼暁「What's next?」, 洪水企画
・NEW COMPOSERS Vol.10, 日本現代音楽協会
・Buncademy 新企画講座 作曲家に訊く vol.1 松平頼曉 配布資料
・NHK「現代の音楽」アーカイブシリーズ 松平頼暁 ライナーノーツ
・トランジェント || 松平頼暁作品集 ライナーノーツ


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