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「コブシの花」

桜よりコブシの方が好きという国内トップクラスにどうでもいい話です。
ちょっと聞いてもらえますか?

子供の頃、春の風が吹き抜ける季節。
ひとけのない静かな農道で、真っ白い大きな花を、その枝ぶりにぎっしりと咲かせた大きな木に出会いました。
それがコブシの花でした。
遮るものが何もない、だだっ広い景色だけに、遠目からでもその豪華というか、豪快な咲きっぷりに目が釘付けになりました。
幹の下まで行き、その満開の白い花を見上げると、太陽の光を受けて輝くような花びらの大群が視界を覆い尽くします。
その光景が本当に圧巻で、しばらく口をぽかんと開けて見上げていました。
まるで必死にその存在を世に訴えるように、咲き乱れる花の大群。
こんなに綺麗な花が見事に咲き誇っているんだから、きっとみんなの目に止まる。そう思って周りを見渡しました。
誰もいない。
それどころか鳥のさえずりも、風の音すらしない。
はらりと花びらが舞い落ちてきました。
こんなに一生懸命咲いているのに。
こんなひとけのない場所に根付いてしまったばかりに、誰にも見惚れられることも無く、もうすぐ散ってしまう。
木にしてみれば、人間の感傷などとはまったく違う生存戦略のために、花を咲かせているのでしょう。
しかし当時少年だったわたしには、その風景がとても美しく、そして儚く見えました。
それ以来コブシの花が咲いているのを見かけると、思わず心の中で声を掛けてしまいます。
「今年も咲けて、よかったね」

日本の春と言えば、桜。
確かに桜の花が満開に咲いている風景は、春の原風景として、日本人の心に根付いているのでしょう。
日本人のみならず、桜のために海を渡ってくる外国人観光客をテレビで見かけたりします。
東京暮らしの時に見た播磨坂の桜並木の見事さに、思わず息を呑んだ自分もいます。

播磨坂の桜並木

同期の桜、桜の代紋、桜餅……。
日本には桜と名のつくものがいっぱい。
それでもわたしは、この季節になると、コブシの花が咲いていないかと辺りを見回してしまう。
春と言えばコブシ。本当にそう思っていて、それが不思議ともおかしいとも思わない。
どこか感覚が周りとイマイチかみ合わないのも、こういう性分が原因なのかも知れない。
それでもいい。
例え誰の目にも止まらずとも。
あの日見たコブシの花のように、残りの人生の中で精一杯の花を咲かせようではないか。今年も咲いてくれたコブシの花を見上げながら、そんなことを思いました。


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