私がもつ傷痕のはなし。

テーマがネガティブですが、立ち止まって考えるにはいいなとおもい、文章にしたいとおもいます。

私は若い頃に様々な苦痛から鬱になり
その後、現在も鬱の傷をもちながら日々をいきています。

きっかけは
母子家庭だった母のがんばりやさんなとこをみて育ち、自分がしっかりするんだ。

と思う反面、だれかにおもいきりたさ甘えたいという気持ち。

の戦いだったのかな。

対人関係で泣いたり、恋愛で泣いたり、つよがって
尖って若い時期をすごしました。

途中で結婚、離婚もするのですが、それもひとつの勲章のようにおもっていたところもありました。

ふりかえると結構散々だなと。

そして今日、
上司と他愛もない会話をしているとき
おもいました。

上司の若いときの人を信じられなくなる話。
を聞いたときに

類は友を呼ぶ

とはよくいうんですけど

似たような傷をもつ人と出会う確率ってあるんじゃないかな。

そうしてみればみんなそうなのかもしれないとおもわれそうですが

私の回りはクセが強めです笑  

私の傷痕は消えないけど

痕としてあって 
跡として私の力になってくれているのかもしれません。

若いとき、つらいことも平気なふりしてわらってたおかげで

強かになれた気もします。

ポジティブもいいですが、自分が自分でつくって歩いてきた道を
自信につなげて

明日もあるいていきます。