本質ってなによ
問題です。本質の反対語はなんでしょうか。
哲学の分野における正解は、現象になります。
ということで、今回は本質と現象について、ビジネスの場面を想定して考えてみます。哲学の用語理解を通して整理することで、複雑なビジネスの現場を、少しでもクリアにしてみようという試みです。
まずは言葉の意味
本質は、英語でいうとエッセンスですね。ものごとの「目に見えない」核心といった言い換えができるでしょうか。一方で、現象は、英語でいうとフェノメノンです。ん〜カッコイイ! バオーを思い出しますね(おっさん)。こっちは、ものごとの「目に見え」ているそのもののことです。
ね、反対語でしょう。
本質という言葉の使われ方
これはどうでしょうねぇ。人によって差があると思うので、例を挙げるのが難しいのですが、例えば、マーケティングの場面では「顧客ニーズの本質をつかめ」ということであれば、潜在ニーズとか、ニーズの基にある欲求とかのことを言いたいんでしょうね。逆に、「本質をついた提案」とかになると、単純化して言い換えると、正解という程度の意味です。ま、後づけによる価値表現ですけど。
本質と現象/経験と理屈
この本質と現象という反対語の対比関係をビビットに捉えながら、話を進めていきます。ちょっと、深く考えるような部分がありますが、興味があればお付き合いください。
本質を見ようとする人(あるいはアプローチ)[以降短く本質主義とします]とその反対語の現象を見ようとする人(あるいはアプローチ)[現象主義]。あえて単純化した2つの側面ですが、経験、実体験を大事にするのはどちらでしょう。現象は、ものごとのあらわれなので、現象の方だとなんとなく思いますよね。実際は逆です。本質を見ようとする人ほど経験とか体験、物語、プロセス、感情といったものを大事にします。派生して、物事の「意味・意義」も本質主義からの関心事といえるでしょう。そして、現象を見ようとする人は、結果、成果、客観的事実、(付随してそれらを生んでいる理屈:構造、仕組み)を大事にします。それが目に見えるものごとそのものだからです。
そうすると、次のように整理できます。
本質主義=質による判断
現象主義=量による判断
最初に、この等式を出していたら、言葉のイメージどおりだったかもしれませんね。でも、その中身(上述の対比)が大事なんです。
余談:本質と質
本質と質は、日本語だと似てますが、全く違う言葉です。エッセンスとクオリティは、まぁ、違いますよね。ただ、上のように結局関係するので、同じようなものかなと思ってしまうものです。この記事でその違いの解説をすることはしませんが、質について、こだわり抜いた哲学者がいるので本を紹介しておきます。
パーシグは、とても物語性のある哲学者です。亡くなったのが惜しいですね。文学のように読め、展開もスリリングで、かつ形而上学的な思考を追体験できる名著でしょう。あ、禅はでてきませんよ。オートバイ修理についてはいっぱい出てきますけど。
経験を大事にするということはどういうことか
本質主義は、とにかく事例を集めます。例えば、トップセールスマン(達)がやっていることをかき集め、その共通点を本質と考えるわけです。「売上を上げる5つの秘訣」こういうの、セミナーのタイトルとかでよく目にしませんか。そして、統計的に証明されているなど言うわけです。それでもって、再現性があるノウハウであるとも主張します。ただ、これは一種の混乱です。再現性という点では、絶対的に量(数値化)による判断を行う現象主義の方が上のはず。本質主義で考える人の混乱でもありますが、本質主義で考えるの人による混乱でもあります。つまり、彼らは、統計や実績として数字を根拠にして客観的事実であることを装うからです。
理屈を大事にするということはどういうことか
現象主義は、個別の事例は大事にしません。極論、無視します。結果にフォーカスして、そうなった理由を説明するとしても、客観的事実とは切り分けて扱います。もっと言えば、個人の特技や個性も無視します。こちら側に、混乱はありません(控えめに言うなら、本質主義と比べて理解、解釈のズレる余地が圧倒的に少ないということです)。ちなみに、能力主義的になりがちなのは、本質主義の方で、意外にも現象主義は人を平等に扱うことに長けています。
※私の関心の一つであるダイバーシティの観点からは、現象主義の方が包容力が高いと思っています。
今のビジネスシーンは偏っている
本質主義と現象主義、どちらが正しいがという主張はしません。実際は、用途によるでしょうし(例えば、本質主義的アプローチに特化したマーケットリサーチの手法には眼を見張るものがあります)。だから、2つのアプローチが並存してもいいですし、使い分けがあってもいいんです。そういう意味で、状況や分析対象によってどちらかに偏ることがあってもいいんですが、今のビジネスシーンを見渡したとき、本質主義の言説(言葉、キャッチコピーなど)が多すぎます。
組織をマネジメントすることにおいても、個人がスキルアップするにおいても、本質主義の過多は混乱のもとです。これは、私の邪推と思ってもらっていいんですが、混乱させることでそれを解消する需要(そのことを潜在ニーズと言っている場合もあります)を生み出しているのではないでしょうか。
経験論/合理論との関係性
哲学者紹介記事で、経験論と合理論について触れました。今回取り上げたものに紐付けると、本質主義は経験論。現象主義は合理論という対応になります。で、どっちが便利かというのは条件付きで決着がついていて、合理論の方です。ここでいう、便利というのは、再現性が高いとか人に伝えるのに認識のズレが少ないという意味でとってください。言い方を変えると、マネジメント等、ビジネスで複雑化しにくいのは、現象主義=合理論の方ということです。合理論的に考えた方が業績が上がりやすい、ということがいいたいわけではありません。私が避けるべきだと思うのは、意味のない複雑化です。複雑化そのものが悪いのではなく、複雑化がブルシットジョブズ(どうでもいい仕事)を生むというのが悪いのです。
さいごに
ブルシットジョブズというのは、グレーバーによってビジネスマンに投げかけられた、宿題としての言葉です。ただ、グレーバーも亡くなってしまいました。この記事が、その宿題を少しでも前にすすめるものだとするなら、私としては、次のように考えます。
AIに奪われない仕事として、各種コンサルティングとそれに付随するスキルに注目が集まり、今まで士業をしていたような人たちや大学の先生まで、関心を示していますが、それは仕事のための仕事を生み出すようなものじゃないですか、ということです。なにも、お役所だけが仕事のための仕事をつくっているのではありません。民間企業や団体で、競争が激しいといわれるビジネスの最前線にあるかもしない仕事のための仕事生産ツールに気をつけよう! そんなところです。