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【本の感想06】三木 清『人生論ノート』(100分 de 名著) / 岸見 一郎

三木清の本を読もうと思ったのはこのニュースを見たのがきっかけだった。 ​

戦前、哲学者や宗教家が思想犯として投獄されていた(旧)中野刑務所。その刑務所の門を保存する意義を、専門家にうかがうという内容だ。三木は中野刑務所で獄死している。獄中で病に苦しみながらも執筆をあきらめなかったらしい。
2021年2月現在、国内外とわず言論の自由について気になるニュースが多い。三木の「人生論ノート」が発行された1941年、日本は太平洋戦争に突入しようとしていて検閲の目が厳しくなっていた。そんな時勢でも、全体主義化し言論統制をおこなう政府への批判を続けた三木の著書は、今こそ読まれるべきじゃないだろうか。

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一方で、三木は検閲の目を免れるためにわざと分かりにくい表現を使って書いていたという背景もあり、僕にとっては原文よりも本書の方が咀嚼しやすく感じた。

人生論ノートで触れられているテーマは幅広い。幸福、希望、秩序、嫉妬、偽善、孤独・・・などを論じている。どれも普遍的で大切だけれど、あまりおおっぴらに話したくはないテーマだよな、と思う。なぜなら現在、こういったテーマは色々なビジネスの食い物にされているからだ。受け取り手の良心を満足させたり優越感を抱かせたりするビジネス。自己啓発・信仰対象・スピは、今の僕が求めるものではない。
一方で人生論ノートは、どこまでも分析に基づいた記述で、読み手自身の判断と表現を促している。印象的な内容を、二つ紹介する。

まず幸福について。成功は定量的な評価が可能なパラメータの大小(収入、地位、etc)で相対的に決定される要素であるのに対し、幸福はそうではなく、再現性がとても低いという特徴を持っている。幸福はDIYによって得られる。このDIYとは、実際の物を作ることだけじゃなく、自身の知識経験想像力をもとに思想を持つことや、芸術や言葉で表現を行なうことも指している。

かなり自分の解釈が入り込んだ紹介になってしまったけど、この幸福に関する記述はとても納得がいく。人生は勝つか負けるかみたいな世界観で生きてる大変そうな人や、借り物の価値観や言葉を武器に人をこき下ろすことでしか満足を得られない人など、自分の基準が分からなくなってしまった人々の姿が思い浮かぶ。「弱肉強食」とか「うまいこと言った」系の言説がまかり通る社会には、理性的な発信の場はない。

もう一つは秩序について。個人の道徳を心の秩序と呼んで、その秩序は自身で形成するべきだと三木は言う。なぜなら、全員が同じ基準で是非を判断することが当然となり、かつそうするべきとなってしまった社会は、全体主義へと突き進むのみだからだ。また、個人に秩序があるように、国家にも秩序がある。国家の秩序はある絶対的な前提・価値基準をもとに作られる。そして国家の秩序は心の秩序に合致したものであるべきだと語られている。

この内容は、思想を自身で形作るべきという幸福に関する話と共通する点がある。そして国家の秩序という点について考えると、たとえば人権の尊重は絶対的な前提であり、表現の自由を根拠にヘイトスピーチを正当化することはできないと断じる面を持ちつつ、言論という形で表に出される国民それぞれの秩序を取り入れていく面も持つ必要があるということになる。80年も前に既に語られていたことについて、僕は何も知らなかったのだなあ(そして周囲も…)と情けない気持ちになった。

このように「人生論ノート」は、レトリックで読者を煙に巻くような言葉ではなく、(わかりにくい表現であるものの)現実に即した問題提起と主張を表現する言葉で構成された本だった。言葉の使われ方に不安を覚えるこの時代、「人生論ノート」は心強い道しるべになるような予感がしている。

👇一部参考
奈須. "ヘイト・スピーチと理論―日本の学説の整理と検討 (1)." (2018).

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