【本の感想08】i(アイ) / 西加奈子
本作品は想像力がテーマの物語といえる。出身・生育環境・人種・養子であるか否か・性愛・経済環境など…人生の少なくない部分を決定するこれらの条件は、人それぞれ異なる。では各条件の異なる人物同士が、互いの存在を認めて尊重するには何が必要か。それは、情報の絶えざる更新と想像力なのではないか。本作を読み終えて、まずそのように思ったことを覚えている。
主人公アイは、赤ん坊の頃にシリアからニューヨークにわたりダニエル・綾子夫婦の養子となった。アイは両親から誠実な愛を注がれるも、情勢不安であるシリアと比較して、自分の恵まれた環境に罪悪感を覚えている。本作は、そんなアイの高校生から青年期までのライフイベントと、彼女の心情(信条も)をつづった物語だ。
アイは、自身のアイデンティティに悩み続ける。何にも根ざしていないという感覚だ。僕が思春期の少年だったとき、アイデンティティに関する不安というのは大抵、クラスや学校でのグループとか好みに関する不安だったように思う。つまり、「ぼくはこのグループにいるから安心だ」「わたしにはみんなと違う趣味があるんだ」という意識だ。こういう不安や自意識は時間とともに薄まったり固まったりするけれど、「私は両親の"ほんとうのこども"と言えるのか」「私は"何人"だと言えるのか」といった根本的なアイデンティティの揺らぎからくる不安は、どれほど大きいものだろうか。
そして何より僕が本作で最も関心を持ったのは、アイの罪悪感についてだ。
アイは幼少期から人の痛みを感じとる繊細さを持っていた。それだけでなく、出生地シリアの現状に関する知識や、世界の貧困などについて両親から知らされていたために、境遇の違う他者への想像力が非常によく育った。一方でアイの想像力は、彼女に罪悪感を植え付けた。罪悪感を抱くことは、ときに自傷行為のような作用を生み出すこともあったが、確かにアイの慈しみの心の原動力となっていた。アイは、罪悪感に苦しみ続けながらも想像することをさぼらない。手軽に正しい側に回ろうとする人間ばかり見受けられる世の中で、アイの真摯な姿勢には心を打たれた。
つぎに関心をもったのは、アイやミナの体に起こった出来事だ。ふたりは中盤で、不妊治療や中絶の決断に悩まされる。
不妊や中絶は、個人の体に関するライフイベントだ。一方これらは、個人の問題にとどまらず、社会全体で議論が続けられているトピックでもある。個人のライフイベントを理解するには、社会との相互作用によって生じたイベントとして理解する社会的なアプローチと、特定の背景や内面を抱えたその人個人唯一のイベントとして理解する個人的なアプローチの両方が必要だ。そのふたつのアプローチの確度や広がりを持つ力(意思のベクトル)を、社会学的想像力と呼ぶ…と聞いたことがある(違ってたらすみません、なるべく早く勉強するつもりではある)。周囲に不妊で悩む人や中絶をするか否かの選択をした人はいないが、今のうちに社会的想像力を養っておくことは必要だと確信してる。
本筋とは逸れるけれど、本作品は登場人物を映像としてイメージすることが難しかった。特にシリア生まれであるアイは、僕の今の知識や想像力では歩く姿さえ納得いく創造ができない。想像力は、日ごろ吸収しているメディアに強く依存するな、と再確認した。
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今回は読後しばらく経ってから感想を書いた。それゆえに、エッセンスだけ取り出して書けたような気もするし、普段意識の外にある事柄を拾い上げられなかった気もする。この感想文も不完全だ。
でも(現段階では)続けること自体が大切だし、今月はこれでいいと思ってる。4月はバタバタが予想されるけど、読書と感想は遂行するつもりだ。
みなさんも体を大切に、やっていきましょう。
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