記憶

 今日もこんな時間まで起きてる。こんな時間って言っても、この投稿を何時から書き始めたかなんて、他の人は知る由もない。数日後の僕ももう知らないと思う。こんなに書かれたのに忘れられる今が可哀想だから書いておこう6時29分。

 僕は忘れるのが嫌いというか、怖いというか、寂しいので、何でもかんでも記録しておこう精神がある。この時何考えてたか忘れたくないからツイートするし、この時好きな人がどんな顔してたか忘れたくないから動画を撮る。ツイートも動画も、そんなに見返す事はなくて、どこかに保存されてるという安心感だけなんだけど、全然それで良い。

 小学校低学年くらいのある日、今より怖がりで寂しがりな僕は、自分の行動が何も残っていないことに気付いて、すごく泣いてた。お母さんが、大きな手帳を持ってきてくれて、これに毎日日記書いたらどう?って言ってくれた。面倒くさがりではあるので、3日くらい書いて、あとは偶にだけ。なんやねんって感じである。

 すごく泣いた日以前の僕は、誰かが自分の行動を常に記録してくれてるんだって勝手に思って、それで保ってたんだと思う。意味が分からん。なんかでも、神様的な、この世がシミュレーションゲームだとするとログ的な、そういうものが残してくれてるのかもっていまだに思ってる節はある。
 死ぬ時にデータを全部くれるのかなとかも思ってる。残してくれてるのは脳みそかなあ。でも、脳に疾患がある人には残らないことになるじゃんって、ちょっと前に思った。もっと高次元の奴らがどうにかしてくれるんだろうって結論に至った。

 人間の脳みその容量で、それと同じだけの容量の脳みそを理解できるとは思えない。自分が生かされてる世界で、その世界を作ってる高次元の世界を理解できるわけない。分からないことはたくさん。
 あいにく僕は頭が良くないので、自分で少しだけでも解明しようなんて思わない。僕が死ぬまでに、誰かが少しくらいは解明してくれるだろうから、それを軽く理解できるくらいの素養は付けておこう。

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