能登半島地震から5ヶ月経って

今日であの日から5ヶ月経ちました。

電気が復旧するまで9日間、
水道が復旧するまで109日間、本当に長かったです。

1月5日に能登を離れ、自宅のある東京へ。
それからは必死に情報をかき集めて実家の家族に伝えていました。

特に水道に関しては今か今かと毎日待ち続け、本当に悲願の復旧となりました。大阪府水道局の方をはじめ、全国から復旧に携わった方々、本当にありがとうございました。

4/19に念願の水道が復旧し、自宅で水が使えるようになりました。
奇跡的に敷地内の漏水がなく、給湯設備も問題なく使えたことで、一気にこれまで通りの生活を送れるようになりました。

GWに能登に帰省

水道が出るようになり、実家の片付けの手伝いができると思い、一度帰省することにしました。

能登空港に降り立ち、迎えに来た家族と5ヶ月ぶりの再会。
実家が能登空港に近いため、本当にありがたいです。

実家に到着して、災害ごみをまとめて車に積み込み、宇出津の藤波の集積場に出しにいき、公費解体の手続きを行いました。
追加書類があったりと3回目の手続きでしたが無事終わり、解体の順番待ちに入ることが出来ました。

地元では仮設住宅の建設が進み、一部では入居が始まっていました。

被災当時は道路寸断で行けないと聞いていて気がかりだった、町野や南志見の方の様子を見に行きました。

自然の力は本当にすごい・・・
それでもズタボロになった道を直して、通れるようにしてくださっている人間の力もすごい。そう感じました。

これが元に戻ることはないですが、また自然豊かな能登に戻っていってほしいと願います。

奥能登の未来

実家に戻ると、近所のお宅で解体が始まっていました。
地震を機に、金沢の方へ引っ越してしまわれるとのことです。

能登ではもともと過疎化が進んでいましたが、この地震で10年・20年後の誰もいなくなってしまった世界が一気に来てしまったように感じます。

生まれ育った町は大好きですが、こうやって景色が変わっていっていくのを見ていくのは本当に複雑な心境です。

現状を正しく知ってほしい

地震から5ヶ月経ち、東京に住んでいると地震の報道もほぼなくなり、みなさんの記憶から薄れて来ていると思います。

ですが、能登はようやく復旧に光が見えてきて、復興はこれからといったところです。
能登の現状に関心をお寄せいただくだけで十分です。どうかお願いいたします。

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