舞台「Birth〜祝祭」を観て

とかく我々男性は、女性の美しさの中に性的な要素や意味合いを埋め込みがちだ。だが、そんな男の身勝手な視点をよそに金澤萌恵さんの舞台は展開する。

率直に言って、男性にとって、女性の美しさと強さやたくましさはいつも並立するとは限らない。女性の強さ、たくましさについては認知すれども、どちらかと言えば、それは美しさとは別のカテゴリーにあった気がする。

私は、この点について、この舞台を観た男性陣だけでディスカッションをしてみたくなった。面白そうな試みではないだろうか。

まず、殺意、誘惑、愛情、色欲の四つの表現を当てるワークが展開される。中心人物に(女性が演じる)男性が設定されている。これだよね。男が見る女。そんなことを思いながら観ていた。

演じにくかっただろうことは想像に難くない。

とくに殺意の表現は実に難しかったと思う。
男性役の明日香さんには見抜かれることなく、観客には、それであることを表現しなければならないのだから。

舞台は次のワークへと進む。
ここから先は、主宰で演出家の萌恵さんの
計算が見てとれる。

こんな声が聞こえてきそうだ。
どうですか、男性の皆さん、
あなた方が、普段見ている、考えている女性像はこれでありましょう。
はい、ここまではそうです。
でも、ここからは……。

ここからが本当の、ありのままの、真実の女性の姿なのです 美しさ 強さ たくましさ 誇らしさ しなやかさ

それを突きつけられ、目の当たりにした私は、身動きが取れなくなった。

ミロのヴィーナスをご覧になればお分かりかと思う。一切の性的要素を除外して女性の美しさを表現するのは至難であったと思う。だが、これこそが、女性が考える女性の美しさだった。

言うまでもなく、私の意見が男性一般の意見を代表することはできない。それでも、男性の視点には女性の美しさ=強さが抜け落ちがちだと思う。

帰り道、帰宅後、それから今にいたって一緒に観に行った妻と、この舞台をめぐる話はひとしきり弾む。本当に素晴らしい舞台なんだ。その熱量は一晩経ってなお増すばかりだ。

萌恵さんの思惑にまんまとハマる心地よさに、この舞台は、社会思想はたまたジェンダー運動への展望か。そんな言葉がちらついてしまう。

もしかしたら、この舞台を主宰する萌恵さんは、無邪気に有体(ありてい)を追求しただけかもしれない。

終演後、何人かの出演者様に話を聞くことができたのは、私にとって幸いでした。考える材料と新たな気づきを与えていただいたことに感謝します。本当にありがとうございました。


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