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こけし祭り

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・全国こけし祭りに関連するお話 ・鳴子町・全国こけし祭り第40回開催記念誌 『町はこけしに華やいだ』のお話
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2020年9月の記事一覧

「こけし祭り」とこれから

今回は前回に引き続き、 平成の「こけし祭り」で活躍し始めた若手工人たちの中心的存在であった、 櫻井昭寛さんと高橋武俊さんのお話から、 次の世代へと引き継がれた「こけし祭り」への想いや これからの「こけし祭り」のことを書いていきたいと思います。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 【祭りの仕込みに苦労する工人さんたち。平成3年(第37回)。】 「こけし祭り」を始めたとき、そこには「まちおこし」の目的があったんだと思います。鳴子でこれだけ続けられ、しかも成功して

平成のこけし祭り

平成に入り、創始からおよそ半世紀が経った頃、 「こけし祭り」は次の若い世代が活躍し始めました。 その世代が、桜井こけし店の5代目の櫻井昭寛さんたちの、 今でも鳴子こけしや、「こけし祭り」を盛り上げてきた世代にあたります。 今回は、当時どのような新しい企画があったのか、 櫻井昭寛さんのお話を交えて、振り返りたいと思います。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 【絵付けコーナーで観光客に描彩を教える様子。平成3年(第37回)。】 平成の「こけし祭り」では、

明治生まれの名工たち②

前回に引き続き、思い出の写真の表情と共に、 他の人たちの記憶の中の等身大の名工たちを紹介していきたいと思います。 今回は、大沼健三郎さんと松田初見さんです。 ※写真:全国こけし祭り第四十回開催記念誌より引用 【こけし祭りにて。左が松田初見さん、右が大沼健三郎さん。】 櫻井家の先代の一人でもある、大沼健三郎さんは、 15歳の頃から父の甚三郎、兄の甚五郎について木地を習得しました。 以降、お盆などの大物挽に従事したり、木地業から離れることもありましたが、 昭和12年より復活

明治生まれの名工たち①

第四十回開催記念誌を読んでいると、 当時のお祭りの様子と共に、明治生まれの工人さんたちが映る写真が とても印象に残ります。 明治生まれの工人たちについて、 この本ではこのような説明が添えられていました。 明治生まれの工人たちは、こけしが子供の玩具から大人の鑑賞品となる過渡期を生きた人たちである。その前の世代と事なり、こけしへの作品意識を高めざるを得なく、その努力の結果としてたくさんの傑作を世に送り出した。そして明治人ならではの魅力で、たくさんの愛好家や研究家を魅了した。