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ケのしつらえを読み替えることでハレをしつらえる

先日終了した紐をテーマにした展示「STRING」で試みた展示構成についての覚え書き。

「STRING」は建築家2人にグラフィックデザイナー1人、哲学者1人の計4人で活動しているtanyeというユニットで行った展示だ。制作物の展示構成については空間のデザインを専門としている建築家2人で主に考えた。展示の内容や自身の制作物については別の記事に書いているので、よかったら読んでみてください。

展示構成は作品の為の什器を新たに制作するのではなく、その場にあるものを什器として読み替えて展示するというコンセプトで行った。展示というハレのしつらえのために外から物を持ち込むのではなくて、内にあるケのしつらえを読み替えることで展示のための空間を構成してみる。展示のための予算が無いということもあったけれど、長らくデザイン(GM以降の異化の手法としての)の主題であった「いかに作るか」ではなく「いかに使うか」という視点で空間を捉え直すことに興味があった。

空間を構成している要素を展示什器として眺め直してみる。天井に設置されたエアコン、配管をメンテナンスするための点検口、施工上の問題からガラス壁にできてしまった目地のコーキング。「いかに作るか」という設計者の視点で見るとできれば無くしてしまいたい余計なものだけれど、「いかに使うか」という展示者の眼にはその場を読み替えるための個性的なきっかけとして映る。その場にあるものの「正しい」使いかたをキャンセルして別の目的で使い直すという仕方で、元余計だったものたち(エアコン・点検口・コーキング)を契機として展示構成を考えていった。

少し話がズレるけれど、スケートボードやパルクールのプレイヤー達はその場にある物を別の目的で「使い直す」ことに長けている。街中の階段や手すり、広場にある花壇等、それぞれに与えられた本来の目的をキャンセルして、トリックを決めるためのフィールドとして使い直す。デザイナーが練りに練った美しい造形の階段もプレイヤーの手にかかれば、トリックに挑むための刺激的な凹凸に変換される。街の良し悪しは美しさや過ごしやすさではなくビッグトリックに挑めるかどうかで決まる。Instagramのハッシュタグに動員された観光客は写真と同じシーンを確認して満足するが、スケートボーダーは刺激的な凹凸を見つけて興奮する。同じ街で同じ風景を眺めていても観光者とスケートボーダーでは抱く感情は全く異なっている。

「いかに使うか」という展示の態度はスケートボードやパルクールのプレイヤーに倣っている。それぞれ目的を持って空間にしつらえられた物たちを別の目的で使い直すという、いわば横領的なもののやりかたで作品を展示する場所を見つけていった。それは結果的に見向きもされなかったものたちを創造的に使い直す試みでもあった。

ということで、以下展示構成の記録。

展示風景
天付エアコンに展示した写真作品

天井に設置されたエアコンは写真作品の展示什器として読み替えた。フィルターのメンテナンス用に設置された開口部を開いて、そこに写真に留めたダブルクリップを引っ掛けている。設置する作品数はフィルターの枚数によって、作品を展示する向きはフィルターの幅によって決まっている。(作者としては縦でなく横向きの展示を想定していたらしい、、、)これは全く意図していなかったけれど、期間中室内の気温が高くなってきたのでエアコンのスイッチをONにしたところエアコンの動作が伝わり写真が微振動した。静止画なのに微振動する( させられる)ことで少しだけ動画に近づいた感じがして、えも言われぬ良さを覚えた。

エアコンの影響で微振動してしまった写真作品

微振動してしまった写真を良しとする寛容さ、意図せずになってしまったことに別の意味を読み取る態度は重要だと思っている。変化を許容することで物事の捉え方の幅を広げることができるからだ。展示する作品を額装して閉域に囲い込むことで空間から切断し、作品の世界を完結させるような美術館的展示も魅力的だけれど、作品と空間を積極的に干渉させることで生まれてしまうバグを許容してそれすらも一時的な作品の世界だと見立てることの豊かさもある。作品を大事に囲い込むのではなく、外の世界に放り出してみることで潜在的な可能性を掘り起こすことができる。

ガラス目地のコーキングに展示した作品

ガラス壁の目地に詰められたコーキングも展示什器になる。裏側からコーキングに虫ピンを刺し、飛び出した部分をL字に折り曲げる。それを作品ケースの上下2箇所に引っ掛けることで固定している。強度的に不安はあったけれど、多少の重さには耐えることができた。他の場所でこれをやるとおそらく怒られるので良い子は真似してはいけない。

虫ピンディティール

デザインの意匠的にはガラス間のコーキングはなるべく無くしたい不要なものだ、できれば一枚ガラスでバーンと納めたい。コーキングは「いかに作るか」を考えている設計者にとっては不要なものだけれど、「いかに使うか」と考えている展示者にとっては作品を設置するために必要なものになる。立場が変わると物事の眺め方も変わる。角度を変えて物事を眺め直すことで不要の中に必要を発見することができる。

点検口の扉を利用した可動式展示

配管をメンテナンスするための点検口も展示者にとっては最高の映えスポットになる。壁と同一化させることでなるべく目立たないようにしつらえられた点検口の扉を開くと、そこにはいくらでも展示のヒントを見つけることができる。展示者は均質でフラットな場所よりも歪な凹凸がある場所に興奮するのだ。

開いた扉は、カゴを使った作品の展示什器として読み替えている。扉の厚みがカゴを引っ掛けるのに丁度良かったので、作品を何かに「置く」のではなく「引っ掛ける」展示にした。当たり前だけれども扉は可動するので可動式の展示什器になる。作品自体に手を触れなくても、扉を動かすことで角度を変えて鑑賞することができる。

扉を開けることで現れた穴も展示什器になっている。穴に露出した壁の厚みを利用して作品を設置した板をクランプで固定している。

点検口の扉を開くことで壁の厚みを利用することができる




一般的に「ギャラリー」はホワイトボックスとして作られる。作品以外には何もない白い箱。作品を他の事物から切り離すことで、世界観をそれ単体で完結させることができるからだ。外部から切断された作品は完成したものとして展示され、今後も変わることのない静的な状態として保存される。そこではハプニングは起こらないし、起こってはいけない。

今回の展示ではむしろ積極的にハプニングが起こってしまうことを期待した。作品を環境から切断することで完結した世界観を担保するのではなく、積極的に周辺環境と関係を結ぶことで作品自体の性質が変化してしまうことに面白さを感じている。その場所でその展示方法だからこそ起こってしまった化学反応は、作品が潜在的に持っている可能性が一時的に表面化した擬似的なアップデート状態だと言える。物理的な展示の面白さはここにあると思う。

ギャラリーの様な無個性的な場所よりも、大衆的で猥雑な飲食店の様な有個性的な場所に展示した方が絶対に面白い。猥雑な環境との化学反応こそが作品の生成変化を生む。性質の異なる有個性的な場所を転々と巡回しながら展示していくことで、作品の様々な潜在的可能性を掘り起こすことができるかもしれない。作品を静的な状態で保管するよりも、動的に変化する過程の中に置いてみることに可能性を感じている。ということで、次回は猥雑な空間の代表格(良い意味で)ラーメン屋さんで展示しようと画策している。

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