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RICO-君と生きた青春 02 怠惰な暮らし

 退屈なのは承知の上。僕の人生に奇跡を起こした小悪魔に出会う以前。何処にでもありそうな中年男の、ごく在り来たりな人生の成り行きにしばしお付き合い願いたい。

 僕は今、御茶ノ水にある建築設計事務所で派遣社員として働いている。未婚で、実家を出て、独り暮らしだ。正社員であれば安定した収入で福利厚生もしっかりしているから、何不自由なく生活できる。しかし僕はこの専門的で社会的貢献度の高い職種に今後も関わり続け、人生を全うしようとは微塵も考えていない。
 両親や祖父母が僕のために敷いてくれたレールに行き詰まりを感じ、以前から漠然と思い描いていた夢に邁進しようと、一度はこの業界を離れた。
 きっかけは多分中学一年生の時に書いた作文だったと思う。
 その年の夏休み、生後わずか半年のいとこが彼の母親の不注意で事故死してしまった。初めて身近に起こった悲しい出来事に僕は衝撃を受けた。その時の心情を素直に作文に綴ったところ、市の文集に掲載されることに。完成品を叔母(事故死したいとこの母)や祖父母に見せると涙を流していた。心の深いところにある、彼らが涙を流した本当の理由は知る由もないが、文章で人の心を動かせるんだと、僕の記憶に深く刻まれた。だがその感動を何かに生かそうとは考えもしなかったから、頭の中のずっと奥の引出しにしばらくは無造作にしまったままだった。
 文章を書くことは好きだった。その後も父が所属する労働者組合で、親睦旅行や組合主催の催し物、それに運動会が開催される時などは、案内の文言を考えたり、チラシ作成の作業を手伝ったりしていた。
 それが正社員の肩書きを外し、将来について改めて考え直した瞬間、引出しの奥の記憶が俄に復活し、僕が好きな「文章作り」と「人の心を動かす」が頭の中で見事に繋がった。
 小説家を目指す決意が固まった。
 直ぐに独学でそのための努力も始めた。
 だが道のりは意外に険しかった。
 最初の問題は生活費の捻出。アルバイトで生計を立てながら、並行して執筆活動を進めようと考えていたのだが、現実はそう甘くはなかった。非正規雇用でも苦労して取得した建築士の資格を掲げればある程度の高収入を約束されるが、残業も発生し、無責任な立場ではいられなくなる可能性がある。それでは生活リズムは逆戻りで、夢へ費やす時間は減る。仕事は単純作業で気を使わないモノ、頭を使わないモノを選ばなければならなかった。そうすると時給は安く、安定した生活を維持するには長時間の作業を強いられる。夢に費やす時間は前述の考えとほとんど変わらない状況に戻ってしまうのだが、残業時間もなくタイムスケジュールも安定させられるので、不本意ではあるが後述の方針で進めることとした。
 ところが半年を過ぎた辺りから、思惑とは裏腹に問題が次々に発生した。突然の父の死を始め、母の病気の発症、その後の入退院の繰り返しなどで、気楽な生活ができなくなった。散々考え抜いてのスタートだったが、否応なしに建築設計の仕事を再開せざるを得ず、夢はしばらく凍結状態に陥った。
 家族の問題がひと段落したのは、三年前、四十五歳を過ぎてからのこと。あえて詳しくは語らないが、独り暮らしが可能な程度に、家族の問題は解決したとだけ記す。
 凍結期間に派遣社員ではあるが出戻った専門職を維持することにして、傍ら小説家の夢へ集中するため、僕は実家を離れた。妹と病気が全快した母には本当の理由を明かさず家には生活費の援助をすることにして、家族とは容易く顔を合せられる距離で暮らしている。
 アパートの家賃など、一人暮らしの生活費はある程度かかるものの、意外に気楽で快適な生活は、何時しか僕を怠惰にした。気が向いた時にノートパソコンを開いて、脈絡のない文章を書き連ねるだけで、作業には全く身が入らない。夢の話も友達にすらしたことがない。関係ないが頭髪も勢いを失くして著しく減少している。今は四十後半で独身で唯一の日課は、大好きな野球をメインに、各テレビ局の夜中のスポーツニュースのはしごという、ただの怪しいおっさんに成り下がっている。

 そんな怠惰な中年男と女子高生梨子の出会いは、劇的でも何でもない。

#創作大賞2022

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