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リベラル側の不祥事にとりわけ批判的な理由

リベラル側・現野党側の不祥事をアンチリベラル側・現与党側が批判している際に、「政権側の不祥事にはダンマリなのにリベラル側のことばかりあげつらっている」といった反駁を見かけることがある。

自分は(政権側の不祥事に対して思うことはありつつも)どちらかというとリベラル側の不祥事にとりわけ批判的なことが多いのだが、これに関しては明確な理由がある。
端的に言うと、公平な、フェアな社会を望むからだ。
もう少し噛み砕いて言うと、以下のとおり。

・そもそもほとんどの不祥事がどうでもいい

まずベースとして、「そもそもほとんどの不祥事がどうでもいい」というのがある。
政権側の不祥事に自分がダンマリなのだとしたら、その件は大げさに批判するほどのことではない・批判に値しないなどと考えている場合だ。

中でも特に、自分は失言(発言)に寛容な社会が好ましいと考えている。政策の議論や問題提起はもちろん、ただの持論としてなどの発言であれば、発言者の責任は一切問わなくてよい、と。

もちろん発言内容をスルーしろということではない。批判するのであれば発言"者"ではなく発言"内容"に。発言者の責任を問うことなく、必要に応じて発言内容について議論すればよい。
少しでも発言に好ましくない要素があったら「キャンセル」されるような社会は自分が目指すものではない。


・同じような不祥事で片方の陣営のみが批判されるのを好ましく思わない

リベラル側・現野党側がアンチリベラル側・現与党側に対して思っているように、自分としても「リベラル側・現野党側は自陣営の不祥事にはダンマリ」という認識を持っている。
(与党側だけが批判されていることが多いという認識だが、野党側だけが批判されている場合は与党側も批判されるべきと思う)

個人的にほとんどの不祥事はどうでもいいのだが、与党側にしろ野党側にしろ同じような不祥事でどちらか片方だけが批判されるのは好ましくないとも思う。よほどの重大事案でない限りどちらも批判されなくていいが、批判されるのだとしたら両方を望む。


これには「政権交代先の選択肢たり得るか」というのも絡んでくる。
(以下、主に不祥事をきっかけとした政権交代について)

政権交代というのは「交代」である。与党を倒してハイ終わりではなく、現野党が新たな与党になるのだ。

我々が望むのは、政府や日本の「改善」であり「変更」ではないはずだ。「改悪」になるくらいなら変えない方がよい。
政権交代で政府や日本を「改善」するためには、与党の絶対評価ではなく与野党の相対評価が必要だ。すなわち、「いかに現与党がダメか」ではなく、「いかに現与党よりも現野党の方がマシか」が確認できなければならない。
政権交代を視野に入れるのなら与党側と野党側をできるだけ同じ基準で比較するのは当然だろう。

自分のことを棚に上げて政権の不祥事を批判する者は、優れた政権批判者にはなるかもしれないが、政権交代先の選択肢にはならない。政権交代したってその問題が解消されないのだから。


・不祥事自体に批判的というよりは、フェアでないことに批判的

自分がリベラル側の不祥事にとりわけ批判的といっても、その不祥事自体に批判的というよりは、その立ち回り、態度、スタンスなどがフェアでないことについて批判的になっている。
単発でリベラル側の不祥事があっても、ほとんどの場合そこはどうでもいいのでたぶん批判しない。

以前誰かが言っていたが、「『不倫した政治家は辞職しろ』とは思わないが、『不倫した政治家は辞職しろ』と言っていた政治家が不倫したら辞職しろとは思う」という感じ。

キャンセルカルチャーには反対だが、キャンセルカルチャーを肯定している人は、自身の不祥事の際には信念に殉じてキャンセルされてほしい。他者に課していたルールを自分たち側には適用しないのはフェアでないし、極めて不誠実だろう。


一応注意が必要なのが、「いわゆるブーメランだからといって元の批判が無効化されたり誤りとなったりするわけではない」ということだ。
ブーメランであること自体はその発言の正誤と関係がない。

性犯罪者が女性への性暴力を批判してもいいし、過去に違法献金の問題があった政治家が政治とカネについて批判してもいい。
不祥事を批判するのが同様の不祥事の当事者だったり何らかの落ち度があったりしても、批判される側が悪いことに変わりはない。「批判される側だけが悪い」か「批判される側とする側両方が悪い」かの違いくらい。

「ブーメランwww」と馬鹿にしたくなる気持ちは非常によく分かるし、ともすれば自分もやってしまいそうになるが、ブーメランだからといってその発言をまともに取り合わないということがないよう注意したい。

※ここまでは「ブーメランとなっている"発言"」に関することで、「恒常的にブーメランを投げるような"人"」がどんな評価になるかというのはまた別の話。
ただ、「恒常的にブーメランを投げる人」だからといってその発言をまともに取り合わないというのも間違っている気はする。誰が言ったかではなく何を言ったか、的な趣旨で。


◆最後に

自分がリベラル側の不祥事にとりわけ批判的な理由は以上のとおり。
リベラル側がフェアになったとしたらその理由はなくなるし、政権側が相対的にフェアでなくなったら政権側にとりわけ批判的になると思う。

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