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父が高次脳機能障害になった日

忘れもしない。
2017年4月21日、私が中学2年生になってすぐの頃、父は交通違反した車に跳ねられ高次脳機能障害及び右半身麻痺という障害を負ってしまった。

その日の夕方およそ17時過ぎ、私は学校からの帰宅途中、買い物に行く父とすれ違った。父はいつも通りバイクに乗っていた。父は一度バイクを止め私に話しかけた。

父「おー!おかえり!ちょっと買い物に行ってくるね!」
私「うん、わかった」

それだけ会話したのを覚えている。
17時半前、私は家に帰宅。そのまま自分の部屋へ行って課題をする。
19時前、隣の団地辺りから救急車の音が聞こえる。
母が、私の部屋に来て不安そうな声で私に言う。

母「ねえ、さっきから鳴りよるけど、おんちゃん(父の呼び名)だったらどうしよう…だいぶ前に買い物に行ったのにまだ帰って来ん…。」
私「確かに遅いね。どうしたんかね」

私はまさかと思いながら、あまり深く考えられなかった。

そして数分後、母に電話がかかってきた。
警察からだ。
電話中、動揺を隠しきれていない母の姿を見て大体を察した。感情を抑えきれず、声を荒げて話している母を見るのは初めてで、「とりあえず私は冷静にならなきゃ」と思った。
電話を切った後、母が私に泣きそうな声で言う。

母「どうしよう…おんちゃん(父の呼び名)が事故に遭った。意識がないらしい。今すぐ病院に行くよ!」

その時私が何と言ったかは覚えていない。
とにかく急いで家中の電気を切って、鍵をかけて、急いで車を走らせる。
車を走らせてすぐ、父の事故現場の前を通る。警察が現場を取り囲み、アスファルトの上には血痕がついている。ぐしゃぐしゃになった父のバイクと加害者の車も停めてあった。母は車を止めて警察にたずねる。

母「ここで事故に遭って運ばれたのって〇〇ですか??〇〇の妻です。」
警察「〇〇さんの妻ですか。これ〇〇さんが持っていた買い物袋です」

…中には潰れた卵とその他材料が入っていた。

またすぐに車を走らせる。
私は、動揺している母を見て、今度は私たちが事故に遭わないか不安になり、いざと言う時すぐに「ブレーキ踏んで!」と言えるよう、対向車や横切る車を凝視していた。

病院に着くと、すぐにICUに通された。
父が眠るベッドに案内され、恐る恐るカーテンを覗くと、そこにはたくさん管に繋がれた父がいた。変わり果てた父の姿を見て、ただただ、涙が溢れていた。
父の状態を確認した後、私と母は主治医から父の容態の説明を受ける。
その時の父は、事故で激しく脳が揺れ、頭を強打した為、脳が傷だらけで、しかも脳幹が潰れており今のところいつ意識が戻るかわからないと言われた。しかも、手術のしようがないとまで言われ、これから母と二人で乗り越えていけるのか不安でいっぱいになった。

主治医からの説明を受け再び父の元へ行く。
何も言葉にできないまま、父の横に座る。
父の体がたまにビクッと動くのは、無意識に反射神経が動いているかららしい。
目覚めない父と泣き続ける母を見ていると身体がその状況を受け入れられなかったのか、いきなり嘔吐物が込み上げてきた。私はここで吐いたらダメと思い寸前で必死に飲み込んだ。

23時頃になり、また明日も病院に来ないと行けない為、母と二人で家に帰宅。

1時頃に布団に入ったが、あまりよく寝られずそのまま朝を迎える。

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