hier / 20191127

 息が出来なくなった日に、首に手を掛けて、全てを悟るきみが愛おしい。狂ったように死を切望して、悪夢を見続ける身体が恐ろしくて、食事すら疎かになるのに、ゆるしを乞い続けて、もう何年経ったんだろう。救われないと分かっていながら、何処かで救われるのではないかと一縷の望みを握りしめ続けて、ボロボロになるまで、ずっと、ずっと、ずっと、そうして、人生って終わっていくんだろうな。いつ死のうかと足踏みしている間に地が固まって、どうにも柵が多くなっていけないよ。死ぬにも、準備が要る。その準備をしているときに、いつも朽ち果てているんだけど、そうやってあと数年は死期を逃していて欲しいのだ、そう言っていると、明日には死んでしまうような気もするけどね。

 空を飛べるような気がして、来世は鳥に生まれて、ペンギンに生まれてから、あぁ、鳥違えだと、越えられないロープを前に思ってしまうのだろうな。僕、魚を捕るのは得意だよ。愛する誰かに魚を届けて、求愛に手を握り返してくれるような、そんな贅沢な日々は望まないから、毎朝焼き魚を焼いて、赤味噌の味噌汁を作り、そんな普遍的な、毎日が欲しい。ペンギンにだって出来るんじゃ、ないのかな。

 きみと繋がっていたいから、余計な心配はよそに、糸電話を片手に窓の外を眺めて、時折、声何てひとつも聞こえもしないのに、一人で笑っている。街で見かけた、電話というものをする人の、真似事。糸電話の先は何処でもよくて、きみにだって分からないような、行方知らずの誰かと、話し続けている。僕には声が聞こえる。非聾者のきみには一生聞こえないだろうけど。

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