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自分という権威に、優雅に敬意を払う

メモ: 自分を信じるということ について

私にとって「自分を信じる」とはどういうことかというと、

自分で自分を信じられないとき、
自分で自分を認められないとき、
自分で自分を嫌いで不快なとき、
自分で自分を否定し続けるとき、

そんなときに自分が感じていることをそのまま感じる、ということ。

自分で自分を信じられないとき、
私は私の体験している「自分を信じられない」という体験を、そのまま体験する。その居難さや苦しさそのままに体験する。

自分で自分のことが信じられないなら、もうそれはそういうことなのだから、それでいいのだ。他ならぬ、私が私を以て私を信じられないなら、それはそういうことなのだ。
苦しみのたうつ私をそのまま、苦しみのたうつ私として置いておく。

「幸せ」って漢字の字面を見てみたら、上下左右対象で四方八方に安定している。
私の心が苦しみのたうったところで、私の幸せはピクリとも揺るがず刻々と私という宇宙を生み出し続ける。

いつでも、自分という偉大なる権威に優雅に敬意を払い続けよう(時々忘れちゃうけどね。)。

自分で自分を認められないとき、
「ああ不安だから揺るぎない権威のある誰かに私を認めてもらって安心したい」
そんなことを願いたくなるけれど、
そもそもが自分で自分を認めていないのだから、どんなに権威がある誰かが私を認めると言ったところでどうにもならない。いやさ、そんなの「私は自分で自分認められないことが辛い」ってことを人を使って証明している寸法で、不毛極まりない(まあ、それでもやっちゃうけどね。時に大切なことを忘れちゃうんだ)。

既に「私は私を認められないことが辛い」ってわかっているのだから、それをそのまま体験すればいいのだ(やってみたら何ともないこと。何故か難しそうに思えちゃうけどね)。

ピンク色じゃなくても、
ピカピカキラキラしてなくても、
鬱々ウダウダしていても、
そのままでウキウキしたりしてもいい。
全て私のalivenessなのだ。
自分を信じるためにいちいち条件など必要ないし、自分を信じているという証明も必要ない。

ただ今を生きる私という命を祝って生き続ける。

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