虚構と真実と

「これが自分を快適にする」と思っているものが、本当に自分を快適にしているとは限らない。それから、
自分が「これが私の求めているもの」と思っているものが「”本当に”自分の求めているもの」だとは限らない。

でさ、「何を信じたらいいか?」って問いは愚問で、信じたらいい「何か」などどこにもないと私は思うよ。
自分で決めるのだ、この瞬間の寄る辺を自分の内に。でさあ、「どうやって決めるか」が大事なところ。私がこの瞬間の寄る辺を”どこにどのように見つけてどう掴むか”は、私が能動的に決めるしかなくて、しかしながら、私はいつでもそれを能動的に決めている。

鬱というのは嫌悪に夢中になる病なのかもしれない(躁というのは傲慢さに夢中になる病かもね)。今まさに鬱の中に私は、身体の内にとめどなく嫌悪が湧き出てくる。これは今の私から世界への私の命からの贈り物である。

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