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産休中のひとりごと


実は、ともったいぶるほどのことではないのですが
産休に入っていました。
34週から入っていたので、早1ヶ月前でしょうか。
明日から38週に入り、いつお産になるのか…?
と、日々緊張と不安、楽しみが入り混じった複雑な毎日です。
けれど、すべて初めての感情でうまく当てはまる言葉は
私の語彙にはなさそうで。

「赤ちゃんについて考える」(過去の記事参照、よろしければおねがいいたします!)など、
友人や姉が妊娠した際に書いた記事は、もう1年半近く前のことになりました。
あのころの私に、多くの感動を与えてくれたふたりの赤ちゃんは
1歳をすぎ、この夏、対面しました。

こうして命は紡がれていくんだな、と 
世の中には多くのやさしいひとも、
自分にとっていやなひとも、
過ちをおかしてしまうひともいますが、
胎内で育ったことは誰1人として変わらないというもの、
そして始まりも変わらないというのは、
医学でもスピリチュアルでも解明できず、
不可解というか、不可思議というか。


私は1月に妊娠がわかり、9月24日が予定日なので
どんなに長くてもあと2週間で妊娠生活は確実に
終わりを告げようとしています。

もう、二度とないかもしれない妊娠生活を
(当初はふたり欲しかったのですが、なにせ10ヶ月が本当に、ただ大変で。幸せももちろんあったのですが、ただただ大変で、心配で、不安で)
楽しむということは果たして出来ていたとは言えないですが
まだ未熟でも 10ヶ月間、
少しずつ親にしてもらったと思っています。
そんな日々を送れたこと、本当に幸せだった。

初期は切迫流産のこともあり、育ってくれるのだろうかと毎日不安で、
胎動が始まってからも切迫早産になり、
臨月まで育ってくれるか毎日不安で、
羊水検査をしなかったので染色体異常のことも
足に浮腫みがあるので今後の治療のことも
臨月に入ってからも胎動が少ないと大丈夫なのかと不安で
産まれてからのこともすごく不安。

でも彼に会えるという日をわたしはとても楽しみにしているのです。

名前という特別なことを決めさせてもらって、
一生懸命に大きくなってくれて、
わたしたちのもとへ来てくれる、彼の存在を。

願わくば、健康で、元気な産声をあげ
辛い日も悲しい日も困った日もあると思うけれど
幸せにすごせますように。

いつか彼に子どもができたとき、
できなくても、
愛する人ができたとき、
できなくても、

幸せだと感じられる日々を送れますように。


そして、わたしもいつか最期がくるのでしょうが、
自分の母や家族の死を看取らなければならないのでしょうが
願わくばそんな日が1日でも、1秒でも、
先でありますように。

わたしを産んでくれてありがとう、と
育ててくれてありがとう、と
支えてくれてありがとう、と
母に伝える日があと何万回と、きますように。


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