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あのアーティストのファースト・アルバムを聴いてみよう

「ファースト・アルバムにはそのアーティストの本質が詰まっている」


…なんていう言葉をどこかで見かけたことがありますが、それはともかく。人気アーティストなのに実はファースト・アルバムはコケた、なんていう例は普通にあるわけで。そういうアーティストのファーストってどんなのだったのかというのは興味湧きますよね。
ということで今回は私が聴いた中ではありますが、いくつかご紹介。

ジャパン「果てしなき反抗」

ジャパンのブレイクは結局、本格的には最後のアルバムとなった81年の5枚目「錻力の太鼓」になるのですが、一般的に彼らの音楽性は初期2枚と「クワイエット・ライフ」以降の3枚に分けられます。
初期2枚は彼ら自身も気に入っていないらしく、ベスト盤でもほぼスルー状態。そんなに悪いのかどうか確認してみてください。
当時イギリスでよく言われた通り、確かにジャンル分けが難しい。あえて言えば「グラム風味のファンク」という感じでいかにも未消化な音楽性なのですが、個人的には、2枚目の「苦悩の旋律」より好き。そしてジャンル分けが難しいということは個性としては唯一無比ということでもあり、「ライフ・イン・トーキョー」「クワイエット・ライフ」以降の路線変更がなかったら彼らはどのような音楽をやっていたのだろうかという興味も。
「奇しい絆」「黒人ならば」「果てしなき反抗」あたりは今こそ魅力的。ところでスティーヴ・ジャンセンってこの頃からドラミングは抜群に上手いなぁ。

ブライアン・アダムス「ギヴ・ミー・ユア・ラヴ」

ブライアン・アダムスのデビューは78年。すでにソングライターとして活動していた中で、デビュー曲の「レット・ミー・テイク・ユー・ダンシング」をカナダで小ヒットさせましたが、YouTubeにもなく、私もいまだに聴いたことがありません。
アルバムはなぜかその2年後の80年になってようやく登場。しかしなぜかYouTubeには収録曲の半分しかないという不思議な扱いをされています。
内容はハスキーながら、やや高めの若いブライアンの声が印象的。曲はコンパクトにまとまったポップロックが中心ですが、「ギヴ・ミー・ユア・ラヴ」「ステイト・オブ・マインド」など佳曲も聴けて、割とよく聴くアルバムです。
セカンドはブレイクしたサード「カッツ・ライク・ア・ナイフ」のプロトタイプのような内容なので、ファーストのポップさが余計に目立ちます。とはいえ、ファンなら絶対楽しめるはず。

トッド・ラングレン「ラント」

ナッズでの活動を経て、べアズビル・レーベル付きのエンジニアとして活動を始めたトッドですが、並行しながらソロ作も出します。が、ファースト「ラント」は米185位、セカンド「バラッド・オブ・トッド・ラングレン」は米214位に沈む結果に。72年の2枚組サード「サムシング/エニシング」から「アイ・ソー・ザ・ライト」(米16位)、「ハロー・イッツ・ミー」(米5位)のヒットが生まれ、アルバムもゴールド・ディスクに(米29位)。
このファーストですが、絶品。なるほど、後にセカンドも含めて(これまた絶品)プレミアが付くはずです。
ソングライターとしてはすでに完成形だっただけに内容が悪かろうはずもないわけですが、特に「ビリーヴ・イン・ミー」やシングルとしても米20位を記録した「ウィ・ガット・トゥ・ゲット・ユー・ウーマン」は素晴らしい出来。シングルB面にも収められた「ベイビー・レッツ・スウィング」からのメドレーも聴きどころ満載。文句なしの出来ですが、のちのソウルフルなヴォーカルはダリル・ホールと邂逅して以後なので、この頃の軽さが気になる人もいるかも。

アダム&ジ・アンツ「ダーク・ウェアズ・ホワイト・ソックス」

80年代初頭、全英チャートを席巻した彼ら。ですが、79年のファースト・アルバムはノンヒットで、アンツ旋風が巻き起こった81年に再ヒット(英16位)。
内容はというとこれが非常に興味深い。セカンドの「アダムの王国」以降とは全く別のバンドと言ってもいいほどイメージが違います。ポスト・パンクそのものという音で、PiLあたりを想起させるところも。全曲アダムの作曲ですが、悪くないけどアマチュアっぽさが残り、元々アダム・アントのヴォーカルも記名性が強いわけでもないので、余計に別のバンドのイメージが。
この違いは、おそらくはファーストはアダム本人がプロデュースしたことと後の作曲パートナーとなるマルコ・ピローニがいなかったことが大きいのでしょう。逆にいうと、セカンド以降を手がけたクリス・ヒューズ(後にティアーズ・フォー・フィアーズなどのプロデューサーとして成功)とマルコの作曲能力の高さが際立っています。とはいうものの、ブルンディ・ビートではなくポスト・パンク的な音が好きな人にはこのファーストも全然OKでしょう。
なお、「キャットトラブル」「キック」のシングル・ヴァージョンにはマルコとジョン・モス(カルチャー・クラブのドラマー)が参加。ファーストに参加したアンツ・メンバーはその後全員解雇され、マルコやクリスらと総入れ替え。解雇されたメンバーはマルコム・マクラレンによってバウ・ワウ・ワウを結成し、アンツとはまた違うブルンディ・ビートをやるというヒストリーも面白いところです。

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