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正直、クィーンの人気ってどうだったのか?

(注)今回の記事は超がつく私見です。
ひょっとすると日本ではビートルズの次に人気があるんじゃないかというクィーン。もちろん他国でも人気の高いバンドではあるんですが、80年代の一部を体験した身からすると少し違和感があるんです。
ということで、個人的な経験を少し語りつつ、現在の人気の源を探ってみようかと思います。

1984年「ザ・ワークス」以前と評価

私がクィーンをリアルタイムで知ったのは、1984年。アルバムでいうと「ザ・ワークス」の頃でした。この頃のクィーンはというと、日本でもあまり評価されていなかったように思います。84年のこの時期は日本でもデュラン・デュランやカルチャー・クラブのような若いイギリス勢の登場もあり、世代交代的な印象もあったのではないでしょうか。
一方、チャート上の経緯から探ってみると、1980年にアルバム「ザ・ゲーム」が初の全米1位を記録(英も1位)。背景には「愛という名の欲望」「地獄に道づれ」という2曲の全米1位となったのが大きいでしょう。このアルバムは初めてシンセサイザーを導入したことに加え、ロカビリーやファンクといった新しい要素を入れた点でもかなりチャレンジングな作品だったんですが、これが大当たり。彼らのキャリア7年にしてついに頂点を極めました。70年代におけるクィーンの日本での人気は既に圧倒的であり、この時期のアメリカでの大ヒットは日本のファンには正直今更感であったはず。
ところがこの後にサントラの「フラッシュゴードン」という特殊な作品を手がけたことに加え、82年に「地獄に道づれ」路線のファンクを強調したアルバム「ホット・スペース」を出しました。これがアメリカでは受けず、シングルに至ってはイギリスでもあまり良い結果を得ることができませんでした。そんな中で登場したのが「ザ・ワークス」でした。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも描かれたように、この時期の彼らは内部でも問題を抱え、解散寸前の状態だったようです。おまけに人種隔離政策で問題にされていた南アフリカの「サン・シティ」への出演によるバッシングもあった頃です。また「ワークス」というタイトルからはピンク・フロイドのアルバムを想起させ(中心人物のロジャー・ウォータースがこのアルバムを最後に脱退)、バンドとして大丈夫かみたいな声も。
作品自体は、シングル「レディオ・ガ・ガ」や「ブレイク・フリー」がヨーロッパ中で大ヒットしたこともあり、よく売れたようですが、アメリカでは「ホット・スペース」とあまり変わらない状況に終わりました。
日本での評価も「ポップ過ぎる」といった感じのものが多く、衰退期に入ったイメージがありました。この頃の彼らの作風はフレディがバラッド、ブライアンがロックという従来のイメージの中で、よりポップに振れるロジャーにファンキーなベースラインを中心に置いたジョンとバラバラ感があったアルバムでした。

フレディのソロ作の登場

クィーンの解散寸前要因の一つにフレディのソロ契約があったようですが、フレディは84年に映画「メトロポリス」のサントラに参加、フレディ名義としては初のソロシングル「ラヴ・キルズ」を発表。そこで聞かれたのはサントラにジョルジオ・モロダーが絡んでいたせいか、エレポそのものといった感じでした。イギリスでは10位を記録するも、日本ではほとんど注目されていなかったように思います。
85年春には代表曲となるシングル「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」、アルバム「Mr.バッド・ガイ」を発表。本格的なソロ活動のスタートということで、これは日本でも相当注目を集め、ヒットしました。特に「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」は当時ノエビア(だったかな?)のCMに使われたこともあり、洋楽ファンに広くアピールしていたと思います。音楽的には「ラヴ・キルズ」から続くエレポからクィーン調まで正直にいえばバラバラ。よって現在でも「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」はともかく、アルバムとしてはあまり顧みられることのないものになったように感じます。

ライヴ・エイドと原点回帰「One Vision」

初のソロアルバムが出た後、伝説のライヴ・エイドでのステージを迎え、彼らの人気は復活します。世界での評価だけでなく、日本でも細切れの映像ながら圧倒的なクィーンのステージの評価は極めて高いものでした。さて、あとはその立ち直ったクィーンが次に新曲としてどんなものを出すか、でした。
同年秋に登場したシングルが「One Vision」。日本の音楽誌でもあのハードだった(シンセに依存しない)クィーンに戻った!という評価が多く見られました。
その後登場したのがアルバム「カインド・オブ・マジック」。映画「ハイランダー」のサントラを兼ねているものでしたが、タイトル曲である「カインド・オブ・マジック」はまたポップなサウンドに戻ったような感じになっており、解散危機は避けられたものの、音楽的には試行錯誤の過渡期といった感が拭えませんでした。
以後、彼らは「原点回帰」という名の初期に見られたハードロックとスケール感をいかに示しながら新しさを打ち出していくかということに挑んでいくことになります。

90年代からフレディの死まで

「カインド・オブ・マジック」の後に登場したシングルは「アイ・ウォント・イット・オール」。アルバム「ザ・ミラクル」も含め、この頃になると王道クィーン・サウンドが確固としたものになり、「あの頃のクィーンだ!」という評が多かったものの、この頃になるとクィーンは従来のファンの間だけで語られるような存在になり、フレディの死を迎えたアルバム「イニュエンド」も評価は高いものの、やはり日本では初期作が主に語られ、80年代からこの時期までの作品が語られることはフレディの病気・死と絡めないところで音楽的に語られることはほぼないように感じます。

「話題が途切れない」クィーン

ところが2000年代になると、クィーンをめぐる雰囲気が変わってきます。ポール・ロジャースやアダム・ランバートの参加に伴うバンド活動継続よりも、日本にとって大きかったのは2004年のテレビドラマ(木村拓哉主演)「プライド」にフレディの「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」が起用され、ドラマの人気に合わせたベストアルバム「ジュエルズ」がなんとオリコン1位、180万枚のセールスを記録したこと。ここで新しいファンを開拓したのが大きかったのか、その後もさまざまな編集盤や発掘盤が登場し、話題が途切れることない中で2018年の映画「ボヘミアン・ラプソディ」が真打として登場。確固たる再評価がなされ2023年の紅白出場と現在に至る状況に続きました。

60〜70年代に活躍したアーティストの再評価劇にはさまざまなものがありますが、ここまで大きなスケールで至ったのはまさにビートルズとクィーンくらいではないかと思います。前述のようにリアルタイムでの全盛期を体験していない身としては、正直この再評価もピンとこないところもありますが(「ドント・ストップ・ミー・ナウ」がなぜここまで人気があるのか実は個人的に理解不能)、偉大なバンドであることは確かですね。

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