20180521

いま、うちの施設には小6と中3がいて、ちょうど修学旅行から帰ってきたり、行っていたりしている。修学旅行といえば、学生生活の中でも一大イベントだったし、彼らにとってもそうみたいで、最近の食卓ではその話題でもちきりだった。

そんなある日の食事のときに、小学生の子に、わたしのときの修学旅行はどうだったか尋ねられて、でも、全然思い出せなかった。あのときはあんなに自分の多くを占めていた出来事のはずなのに、記憶に残っているのは本当に断片で、語れるものがほとんどないことが悲しかった。

札幌の小学生だったわたしは、修学旅行には小樽と洞爺湖と有珠山に行った。覚えていることといえば、小樽で海鮮丼は嫌だから別の何かを食べたことと、洞爺湖のぼんやりとした景色、そして、部屋のメンバーがクラスの中でハブられていた子と一緒だったこと。部屋ぎめの話をしているとき、先生から直々にその女の子と一緒になるようにお願いされて、とても微妙な気持ちになったことを覚えている。べつにわたしはその子を嫌っていたわけではないけど、わざわざ先生からお願いされることが押し付けられているような感じで違和感だったのかもしれないな。そのときのことが強烈に印象に残っていて、旅行のことはほぼ覚えていない。海鮮丼の代わりに何を食べたかもわからないし、有珠山にいたっては本当に行ったかもあやしい。

きっと、わたしは人よりも記憶が曖昧な気がしている。いろんなことの記憶が薄いぶん、過去の自分が不確かで不安な気持ちにかられたりすることも少なくない。大事だったもののはずなのにそれがなくなっていくようで、今の自分と過去の自分が繋がらない気がして、とても怖くなる。だから、記録を残したいって強く思う。文や写真で。記憶を反芻するために。

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