タコピーの原罪、最終回前に寄せて

自分自身が引きずり出されるような作品に出会いたくて、わたしは音楽や映画や本に触れる。自分の本当の心の内がなかなかさらけ出せられないからこそ、文化的な何かにいつもすがりたくなるんだ。最近だとタコピーの原罪という漫画に、自分の内面をかなりぐちゃぐちゃにかき回されている。

最初、わたしはタコピーに共感しながらこの漫画を読んでいた。
自殺してしまったしずかちゃんを見たときに「どうしてそんなことをするかわからない わからないからこそ知りたい」と思ったり、「ものすごい笑顔にしてみせるっピ!」とがむしゃらにアクションを起こしたりするタコピーが、子どもに関わっている自分と似ているように感じて他人には思えなかった。全然うまく行かないけれど、どうにかしようともがくタコピーに報われてほしい気持ちで、毎週金曜日の0時を待っていた。

それが、14話で、しずかちゃんが今まで抑え込んでいた怒りや悲しみの感情を初めてタコピーにぶつけたとき、自分の感情が完全に持っていかれてしまった。
ここまでしずかちゃんは気持ちをさらけ出すことはなかった。まりなちゃんや東くんという他の小学生キャラたちが、ある意味素直に自分の欲求や葛藤を表現する中、しずかちゃんだけはずっとどこか諦めていて、無の状態だった。だからこそ、今回しずかちゃんの叫びに近いような心情吐露シーンがすごく胸に響いたし、同時に過去の自分も引きずり出されてしまった。

わたし自身、環境があまり良くない家庭で思春期を過ごした。
両親がギクシャクしはじめたこと。父が家から出ていったこと。いつか元に戻ることを願ったけどそれは叶わないと悟ったこと。そのときに自分が何かを思ったところで、なんの意味もないじゃんと感じたこと。本当はすごく悲しかったし寂しかったけど、その気持ちは感じてはいけないと思って蓋をしたこと。

しずかちゃんがタコピーに暴力を振るいながら怒りをあらわにしたシーンで、この忘れかけていた自分の気持ちをリアルに思い出してしまってすごく辛くなったし、そして、羨ましくもなった。
あんなふうにめちゃくちゃにしても手をぎゅっと握ってもらえるしずかちゃんが。うん、うん、と話を聞いてもらえるしずかちゃんが。一緒に泣いてもらえるしずかちゃんが。

この年齢になった今でも、あのときの気持ちをずっと引きずって生きている。思った以上に自分は過去のことを消化できていないし、「こうしてほしかった」「こうなりたかった」という思いも未だに根強くあるのだと実感してしまった。

ただ、わたしはいい大人になってしまったので、しずかちゃんみたくこんなふうに振る舞うことはできない。だから、自分は支援者側(タコピー側)として、過去の自分のようなことを感じている子どもを救おうとしている。それが、過去の自分自身を救うことに繋がると思うから。だから、ずっとこの漫画を読んでタコピーに報われてほしいと思っていたんだなあ。

タコピーがしずかちゃんと「おはなし」して、しずかちゃんの手を取ったその後、しずかちゃんはタコピーと寄り添いながらなんとか生きていくことはできている。だけど、ずっと泣いていた。「ものすごい笑顔」にはならなかった。だから、14話のラスト、しずかちゃんが「本当にほしいもの」を手に入れるために、やりなおすために、タコピーはしずかちゃんから離れた。

わたしが、「本当にほしいもの」は何なんだろう。「こうしてほしかった」を叶えてくれる誰かに出会うこと?それとも、過去の自分を救うために、今目の前にいる子どものに何かをすること?
なんとなく、どちらも答えとしてはNOな気がしている。でも、じゃあ、一体どうすればいいのかがわからない。何がほしいのかがわからない。わからないから、なんだかずっと虚しい。虚しい状態で生きていくのは辛いから、目の前にある自分のできそうなことを、ひたすらしているのだと思う。

一体、しずかちゃんの本当にほしいものは何なんだろう。
タコピーは何を残したのだろう。
この物語はどうやって幕を閉じるのだろう。

それを全部見届けなくちゃならないから、次の金曜日もまた、わたしはジャンプ+を開きます。

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