JAF会員誌になったかもしれない父


車には疎いけれど、
何を隠そう、「日本自動車連盟」、通称「JAF」の会員です。
よくわからぬまま父に入っておけと言われ
家族会員になったのが始まりだけど
父が亡くなった後も、継続している。
意外と助けられてきたからだ。

子どもがもうちょっと小さい頃、
わたしの知らぬ間に室内灯をONにしていて
翌日バッテリーが上がってた…
なんてトラブルを、JAFの優しいお兄さんに度々救ってもらった。

JAFの会員誌に「JAF Mate」なるものがある。
正直言うと、いつもは満足に読まずに
古紙袋へ丁重に収めているのだけど(すみません…)
先週届いた最新号に限っては
なぜか、中を覗いてみる気になった。

当たり障りのない、子犬の写真の表紙。
そこに寄稿者として松浦弥太郎さんの名前があった。
巻頭1ページのエッセイで
タイトルはズバリ「しあわせとは」。

松浦さんの、ベッドで目覚めた瞬間から仕事を始めるまでの
毎朝の習慣が紹介される。
その時の自分の体の状態、朝ご飯、日課のマラソン、掃除、など
全てを丁寧に噛み締めつつ、意識がすーっと行き届いている。
仕上げは、ソファに座って30分、ぼーっとして何もしない時間をとること。

「さすが、松浦さんだなあ。(=自分にはできないなあ)」と、
いつもなら、自らの雑な日々ときっぱり線を引き
ページを閉じていたはずだ。
ただ、ここ最近、とあるコーチングで

「流さない。ひとつひとつの小さな選択を丁寧に全力でやってみる。
自分なりのピタっとした感覚に意識的になる」

といったアドバイスをもらっていたのもあって
なぜか、自分ごととして惹きつけられるものがあった。
最後のまとめの文章は、松浦さんの文章から
そのまま引用してみようと思う。

これが僕の「毎日の習慣」である。
一つひとつすべてに喜びがあり、
一つひとつすべてが自分にとっての大切な仕事である。
この仕事があることで自分が個として成立し、
それによって生まれる感性と能力、親切と勇気、そして愛情で、
一般的な意味での仕事の下で社会活動が果たされている。
さて。先に書いた「毎日の習慣」であるが、
これは「毎日のしあわせ」と言い換えてもいいだろう。
僕はこう考える。しあわせとは、他人や社会から与えられるものではなく、
自分自身で生み出し、そのしあわせの先に湧いた感謝を、
いかにして行動と営みで精一杯に表すのか。
その答えが、僕の生き方であり、しあわせな未来を導いている。

自分を満たすことが、第一に立派な仕事であり
その延長に一般的な仕事や社会活動がある。
そう理解した。今の自分には、とても腑に落ちた。

ひとつひとつのこだわりをすっと通して
自分を喜ばせることが、ひいては周りも喜ぶことにつながるかもしれない。
ここ数ヶ月、完全に枯渇していたけれど
なんだか、静かに泉が湧いてきた感覚です。

というわけで、こうしてまた、JAFには意外と助けられたのでした
そう言えば、この「JAF Mate」が届いたのは父の命日で。
JAFよ、ありがとう、父よ、ありがとう。
1周忌では、「シソになったかもしれない父」が
今度は、JAF会員誌になったのかもしれない。

勝手に結びつけていると言えばその通りなんだけど
何か意味を見出し、言葉にして物語に仕立ててしまうことが
わたしにとっては、死の衝撃から自分を少しずつ癒すことでもあり
せめてもの弔いなのかなと思い始めました
今年も暑い父3周忌の夏です。


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