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摂食障がいの克服75【体裁】

 こんなことしたら、浮くよね
 こんなことしたら、また、ひとりになるよね
 こんなことしたら、悪いよね
 こんなことしたら、また、また、見捨てられる

 もしも、小さなころから、ただ、愛されて、ただ、ありのままを受け入れられて、ただ、自信(自尊心)が育てば、人はどうどうとしていられるシーンが増えるのでは、と思っています。

 逆に、誰かに目一杯、気を遣わなければ、居場所がなかった、兄弟姉妹を羨んだ、我慢は我慢を呼んで、いつしか爆発して、例えば摂食障がいにだとか、例えば、他人に対して鎧かぶってみてるとか(たくさん友達がいるのに、本心を分かち合えなくて寂しい、とか)、つい、自分の育った環境を周りと比較して、もっといい環境があったはずなのに、と思うとか。

 あと、ただ、心ではなく外を見る、とか。何かひとつのことが起きた時、心はどう動くのか、そして、心を捉えるよりいち早く事実のみで見る性質であると。

 仮にですが、初対面の人みて、スタイルいいなー、何言っても肯定から話してくれるなー、がんばりやだな。友だち大切にしてきたんだな。あ、顔の作りがなんだか、彫りも深くてうらやましいなー。

 そう言います。事実のみをみている性質な人が叱る。『彫りが深いとか言わない』。彫りが深いって言ってはいけなかった(仮に)として、美人だと伝えたかった私の心。

 『そっか、それを伝えたかったのね』

 で、終わらせる。そうであってほしいし、そんな答えなら『ほんと、ごめんね』とこちらもいうけれど、

 『彫りは深いっていって、あんた、美人とか言ってなかったやんか!!』再び責める、それはなんだろう。

 結果合計何時間、泣いたかな。否定されるということは、辛い。きれいだと伝えたかった、褒めたかった。怒られて何時間も泣き、翌日に褒めたかったと伝えて、褒め言葉を使ってなかったと言われてまた、泣く。

 そこまでして、人を泣かせて、人は人の優位に立ちたいとしたら、これは、何らかの欠落、私はそう思う。

 もう既に摂食障がいの私としては、責める言葉はもういらない。

 虐待とかネグレクトは論外です。一刻も離れてほしいです。

 そうではなくて、一見『普通』なのに、何かが、『自分本位すぎる』思考、『自分以外が本意すぎる』思考があるように思います。

 でも、あれだけ、毎回毎回自分の都合いいふうに記憶が止まり、そして、責める

 何を守ってるの?私たちより、その、周りの100人が大事なの?てこと。自分の、地位や体裁、そのためなら、私たちの摂食障がいなんて、蹴飛ばせる、そういうこと。

 摂食障がいは、優しい人たちが周りにいれば治る(寛解)。

 一番そばにいてよくないのは、優しいふりして、優しくても、ぜったいに、自分は正しい人。分かち合いには議論やぶつかり合いあってこそ。

 ぶつかれない、だって、全部その人の正論だから。で、誰かの正論の中には誰かの体裁が隠れてると私は思うから。

 体裁なんてどうでも、実は良くて。
 
 旅行、夢だった旅行に行こう、そう思って、実行しています。

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