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摂食障がいの克服73【過食欲】(←克服の難しさ)
先ほどしくしくと泣いた後、コンビニのおにぎりと、シーフードヌードル買って、食べました。
不思議だけど、あと、5個はおにぎり食べられるし、後3つは、カップ麺食べられるだろうなーという感覚があります。
基本的というより、全面的に、何年もかけて摂食障がいに取り組んできた私は、寛解に近いつもりです。これは、ついつい、過食欲が治まると、摂食障がいが、よくなってきてきた、と考えがちですが、やはり、普通に普通の量を、食べられる、それは、大切な要素というか。食べ過ぎる欲が治まるより、普通の量を、食べられるか、それが、キイだと思うので。
過食するか否かではなく、拒食していないか。抑えていないか。
抑えてないのにこれだけ過食欲出ちゃって凹みます。許されるなら食べたい、そんな感覚です。
朝はしんどくて眠っていましたけど、お昼から、おふろもはいって、出かけたんです。暫く会えなくなる人たちに会いたいな、と思って。お昼飲みですけど💧
ほんと、この人いい人、この人なら信用しても、そう思うけど、その人の正義は、私の摂食障がいを超えるのか?今、不安定だったら、過食症になるって知ってて、その人の論理振りかざすのか?正義というか、なんだろうなー。例えば私が息子を大切に思ってる気持ちに、息子が右利きでも左利きでも愛おしい…その程度の、価値観だと思うんです。というより、私はね、綺麗な人を見て、綺麗と言ったんです。でも、その言い方がだめなんだって。
人を頼っては傷つき、でも、助けて、って頼っては傷つき、ああ、結局1人で治さないといけないんだ、そうわかるのに、また、人を信じてしまって。いい人たちなんだけど、あーそか、あの心理学の6つでいうと、違う性質なのか。なんて、そんな最中に分析しないしね笑。結果、空気は悪くしたくないから退散しましたー。
代償行為はなし、ちょっと食べ過ぎのレベルて、書いてその、まだ翌日ぐらいなのに、シーフードヌードルとおにぎり食べて、これなら、あとまだまだ食べられる感覚で、説得力も何もないと思いますけど、でもやはり、ここまでにしておきます。
私の食べるポテンシャルすごいんだなー。
眠剤も安定剤も私は頼っており、でも、そんなに効かないから、あの病院の簡易ベットが好きです。点滴するついでに少し眠らせて欲しいとお願いして、眠ったこともある。ふかふかじゃないのに、カーテンひとつの向こうに看護師さんや他の患者さんがいる安心感とか。あの、簡易的なところが、眠っても眠らなくてもいいよ、と言ってるようで、好き。
全身麻酔もこの2年で3回かな、したんですけど、あれもすごい安心感。すっと、眠れる。
安心したい。傷つきたくない。
朝には摂食障がいのきつさで、涙してた人が責めるんだから、この世界はなかなか、気が抜けないです。
でも、今日会った人たちもいい人たちばかりだったのに、泣いてしまって空気悪くしたなー。
でも、回復が必要な時にむやみに例えその人の正論でも振りかざすのは、反対だな
昨日まで書いたことに偽りはないんですけど、そうやって、泣いて食べたい、てなってる今日のお話でした。
食べたくて仕方ない。
摂食障がいになってなかったら、この悲しみはどうやって癒したのかな。
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