摂食障がいの克服157【摂食障がい(克服中)の私と、聞こえづらい人】
【2024年5月3日】
1軒目、お寿司屋さんへ。
とろたくとうなぎサンドがおいしかった。超辛口冷酒と。
お野菜の天麩羅も。
友達が久々にお寿司か焼肉を食べたいということで、行ってきました。
2軒目、スナックへ。お客さんも少なくて、たくさん歌った。
友達が、『自分のほうがうまい。ほら、2位や』と。
『2位って、二人中やん・・・』表示されていた点数は77点ぐらい。
私は、12位とかだけど、点数は85点ぐらい。平均して80点は出るのに、そのドヤ顔が憎い。
3軒目、いつものバーへ。1杯だけ。ちょっと不穏な空気になっていったのは、2軒目から。点数争いではなくて、友達がふとスマホゲームを始める。
一緒にいるとき、スマホゲームされて不機嫌になる私。
友達の言い分:
『スナックで、他の男性と話してた』
『バーに行った時もちょっと他の男性に興味があったと思う』
脳内変換が激しい友達。
【2024年5月4日・朝】
目覚めると、友達がパンを焼き珈琲を入れている。すっかり家事にも慣れてきた(最初はコーヒーメーカーでの珈琲作り方もままならなかった)
『これ、充電してもらえる?』とスマホ渡したけど反応がない。
『もう珈琲はいいよ。』と伝えたけど、颯爽と珈琲お代わりを作ってくれている。
じっと見ていると、絨毯の上の小さなごみを拾った!なので、『はい』ってすぐに袋を差し出した。反応がない。きょろきょろした挙句、ごみをまた下にそっと戻した!
耳問題が深刻です(友達は耳が聞こえづらいのです)
人は意思疎通がしたいもの。それがすべてと言っても過言ではないほどではないでしょうか。
【2024年5月4日・お昼前】
私は英語の勉強をスタート。そうだ、友達にちょっとつきあってもらおう。
『ねね、ちょっと英語読んでみるから、一緒に発音しよう』
・・・反応が非常に悪い。私の発音はそんなに悪いのか。
そう思って、声を張り上げてみた。劇的に友達の発音がよくなる。
そうか、私の発音が耳に届いたんだ、と感じた
その後急にそわそわする。どうも、大好きな工作がしたくなったらしい。そして100円均一へ行ってくる、と告げ出かける友達。
帰宅すると、長時間、この私の狭い1Kの家のK側に消えた友達。
のちに確認すると、至るところに、私の知らない掃除グッズが置いてあった・・・。
【2024年5月4日正午】
私は英語の勉強でおなかがすいたと告げると、近くのお店に連れて行ってくれた。ラーメン屋さんで、和風ラーメン煮たまご付、からあげ、炒飯、ビール1杯完食した私。
友達は私と同じラーメン、私の3倍ぐらいのチャーハン、3倍のからあげ、それからお代わりしたご飯、ビールは1杯。
私はお昼からラーメンを食べられることも普段ないので、元気を感じて、一緒にお墓参りへ行こう、と提案。
【2024年5月4日14時】
往復8000歩、歩いた。暑かった。けれど、お花を親友へ届けられた。
購入したお花を、ハサミで切っていると、隣にいた女性が、『きれいなお花ね』って言ってくださり、『友人に届けるんです』って嬉しかった私。
友達と親友のお墓参り。ふたりともめちゃくちゃ日焼けした。
『あんなところに小道が』
『ここでは昔きっとこういうことがされていたんじゃないか。』
周りへの洞察力がすごい。けれど、私への興味が、薄い。
【2024年5月4日15時】
再び帰って、英語の話をしていると、今日覚えた単語をきれいに発音し、ひとつ、文章読めたって、ドヤ顔する友達。
発音はよくなった。しかし、私がリーディングを始めたら目の前でうとうとしている。『子守唄じゃないからね。』
【2024年5月4日16時】
友人が帰り、私は暫く英語を勉強しました。
昨日まで、ちょっとわからない箇所がありましたが、100%理解。よかった。と思った瞬間気絶。2時間ほど眠っていたみたい。今日は暑かった。
友達もめちゃくちゃ暑そうだった。途中で麦茶を買って渡したのに、『自分は冷たいものしか飲めない』と断る。『冷たいけど』そういうと、『ぬるい』。
なんて、わがままなんだろう。そう思いながら、ぬるい麦茶を飲みつつ私は帰ってきたものです。
【そして、今】
そして、今に至ります。
友達は実は、コロナ(初期)の影響で、味覚と嗅覚がほぼないそうです。
けれど、カロリーを必要とする仕事なので、毎日それはそれはおなかがすく。身長は私より20センチは大きいし、体重も30キロは重い。維持するだけでもカロリーは必要。そして、周りからみているとおいしそうに食べているので、まさか味覚・嗅覚がまだ鈍いと誰も思わない。
今日ラーメン屋さんで、もう激辛のある商品(そのお店のイチ推し)を涼しい顔で食べていた。私なんかは、火を噴く辛さ。
味覚・嗅覚・聴覚があまりない友達。
摂食障がい(”元”とは言えかなり根強い影響を与える)の私。
私たちは、なぜ一緒にいて、何がお互いによくて、それを言語化できないままに今に至るのか。
友達には、『耳が聞こえづらくても、こうやって、お散歩中声張り上げて、話し続けてくれる人がいるって、幸せでしょ』と私がいうと、
『そうやなあ』という友達。
一方で、何だか意思疎通ができなくて泣く私。
サード新田君なんて、どこにもいないという話。
毎回だけど、ごちそうしてくれる友達。
たくさん、おいしかった。
2024年の今年。
先日の私の嬉しかった瞬間です。
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