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運命の人

こんな私らしくない題名、自分でも笑ってしまう


運命の人なんて、本当にいるのだろうか
本当に目が合っただけで恋に落ちたり、
偶然と偶然が重なり合って運命の出会いをしたり再会をしたり
そんなドラマみたいな事なんて、現実に起こりうるのだろうか。

でも、恋愛している時の自分はキラキラしてるというか、
希望を持って生きているように思う(楽しい時期に限るけど)

だって、楽しいもん。
自分のことを好きだと言ってくれる人がいて
唯一無二の存在というか
理由なんか無くても一緒に同じ時間を過ごす事が出来て、
そんなの私が一番欲しいポジションじゃんか
恋人同士に限らずね

誰かに必要とされたい。
必要とされる事によって自分の存在価値を見出している私にとって、そんなの喉から手が出るほど欲しい


このコロナの時期になって、
友人とご飯に行ったり飲みに行ったり
そういう機会が全く無くなった

妹や友人たちはzoom飲みというものをやったりしているけど
わざわざ連絡して気軽に誘うほどの友人は私にはいない、というか、すぐには思い浮かばない
友人とめっきり連絡を取らなくなった
繋がっているのはSNSだけ。


ひとりで過ごす時間が増えて、
わたしは自分の周囲の人間との関わり方について考えた

そこで、ひとつ分かった事がある。
わたしは人に心を開く事が苦手だという事だ。

仲の良い友達が多い妹を見ていると
急に電話が掛かってきたり
誰かと腹を割って話をしたり
お互いの素を見せ合えたり
本当のところは分からないけどね

とても羨ましく思ったりする


妹は人と打ち解けるのがわたしより遥かに早い、と思う
人に弱みを見せるのが上手いというか


わたしは人に自分の弱みを見せられない
見せ方が分からないと言った方が正しいかもしれない。

だから、その人に合わせた付き合い方をしている

この間、オードリーの若林さんが書かれた「ナナメの夕暮れ」という本をAmazonで購入した

何処かの誰かが
自分の生き方がこの本を読んでやっと腑に落ちたとSNSに書いているのを見たから、なんとなく、思い付きで購入してみた。


まだ読み切っていないけど、そこにこうあった。
「他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、自分の正解が段々わからなくなる」

これはわたしじゃないか、と思った

人に嫌われる事が一番怖いと思っている私にとって
その人の都合の良いように、今まで自分を合わせてきた

今まで付き合ってきた元、恋人たちにも
「何を考えているのか分からない」とか、「本当はどうしたいの?」とか、嫌になる程言われてきたように思う。


何って、なんなんだ
そうした方がいいと思ってやっているのに
あなたの為を思って、は押し付けがましくて言いたくないが

そんなに嫌な顔してやってたのかな
わたしの顔(表情)の問題なのかな

だから、今まで長く人と付き合った試しがない
やはり弱みを見せないと、本当の愛情や友情は芽生えないのだろうか。
だとしたら私には無理なように思えてしまう


実は、社会人になってから、勧められTinderを始めてみた

マッチして気が合った人たちと気軽に会えるマッチングアプリだ

今までの私からしたら、考えられない話だ

でも、私がそこで会った4人はみんな付き合い方が上手な人だった(アプリでの出会い方に慣れていた)

どうしても、人との深い付き合いを望んでいる私にとって(矛盾しているかな)、その場限りの関係 というのがどうもしっくりこなかった

だから毛嫌いされて、終わったりした

いくら出会い系で会った人とはいえ、連絡を絶たれたりマッチを解除された時は、人格を否定されたようで悲しかった

そういうのは現代ならではだと思うけれど

嫌だと思ったらボタン操作ひとつで無かった事にできるような、そんな事に恐怖すら覚えたし

同時にこういう出会い方や付き合い方は自分には不向きだと思い、アプリを辞めた。

なんだかなあ、、、、


でもいつかは、私の弱みを自然出せるような、そんな人が現れてくれるんじゃないか、と思う時もある


いつか、恋人に限らず
そういう付き合い方が出来る人と巡り合えたらいいな
少なくとも、そういう希望を持って生きていきたいね


題名が「運命の人」なのに
周りの人間との付き合い方に話がシフトチェンジしてしまっているね、ごめんなさい

永遠と考えてしまうから、一旦終わり!