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人生の切り売りについて

#散文

割と昔から己の人生を切り売りしてきた。
最初は恐らく大学時代、Twitterを始めた時だと思う。
Twitterは私にとって、己の身の回りで起きた残念な出来事をネタにして、いいねやリツイートを貰うことで昇華するのだ。

後にかの立川談志が落語を「業の肯定」という言葉で表現したことを知り、私のこの行為もまた「業の肯定」と呼ぶのがしっくり来ると感じたが、私は私自身の行為を「人生の切り売り」と呼んでいた。
最近ではTwitterのいいねのみならずこのようにnoteで本当に販売するようになっているので、正に切り売りだ。

業だらけの人生だったので、書くことには困らなかった。
しかしここ最近、新たな悩みが生まれた。

比較的幸せになってしまい、面白がってもらえるような出来事が起こらなくなってしまったのだ。
周りの人に比較的恵まれ、仕事も比較的順風満帆で、金は無いけど例えば電気の契約を15Aにしなければならないほど物凄く無いということもなく。
では今までのように過去の人生の出来事で、まだ何か業は無いのかと言えばだいぶあるのだが、いじめられていた話だとかそういう本当にただの闇になってしまって面白くない。
平たく言えば「書くことが無い」のだ。

しかしここまで書いて思ったのだが、「書くことが無い」というだけの話で既に500文字近く書けている。
井上陽水も「傘がない」というだけの話を5分半もの曲にした。
ある一点から見たら何でもない日常だが、視点を変えればいくらでも話を膨らませることは出来るのかもしれない。

そう考えると、意外と書けることが浮かんできた。

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392字

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