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波子のこと#2 料理は一人でしたい

波子の両親は共働きで、どちらも出張が多かった。しかも1週間とか2週間とか結構長いものもよくあった。そういう時、波子はどちらかの祖父母の家に預けられる。母方の祖父母の家から自宅に帰らずそのまま父方の祖父母の家に行くこともあった。

子ども心に家の雰囲気の違いを如実に察知していた。ちなみに祖父は共に公的な仕事に就いていた。

まず父方の祖父母の家。一言で言うと「堅」。テレビはNHKか野球中継、お正月は箱根駅伝かかろうじて孫たちも集まるのでかくし芸大会とかそういうの。一方、母方の祖父母の家は「楽」。同じく野球中継をよく見ていたけど、ドリフとかそういう笑いがある感じ。どっちの家で過ごすのが良いかと聞かれれば間違いなく母方。どちらも戸建てだったが、父方の家には庭はなく、母方の家には庭があった。いや、庭だけではなく、母方の家の方が空間的なゆとりがあった。

4歳になる直前に父方の祖父母の家のそばに引っ越したので泊まることは、ほぼ無くなった。というか小学生になる頃には波子の母、海子は出張をあまりしないようにしてたのかも。田舎はなかった、と書いたけど夏休みや冬休み、春休みと休みになれば必ず長期で母方の祖父母の家に泊まりに行った。まさに自由を求めて。海子の母、米子は料理が得意で、食べたいものを言うとなんでも作ってくれた。おかげで冷蔵庫はいつだってぎゅうぎゅうで、割り箸を支えにしているほどだった。時にその割り箸が折れたりもする。

米子は毎日買い物に行っていた気がする。自転車でスーパーをはしご。別に特売品を狙って買い物に出ていたわけでもない。彼女なりにいいものがあるお店が分散しているということだったようだ。米子の夫、正は毎朝お刺身を食べていた。毎朝。だから米子は毎日買い物に行っていたのか。波子は大体おにぎりとソーセージを食べていた。

台所は米子の城で波子が手伝いをすることはあまり許されなかった。米子なりのものの置き場と手順があるからだ。それは今の波子にも強く受け継がれていて、波子は誰かと一緒に料理をするのは苦手だし、料理をしている時に家族が台所に来るのを嫌がる。配膳は手伝って欲しいけど、作るのはとにかく一人がいい。

波子の母、海子は仕事が忙しかったが「料理は気分転換」とよく言っていて、嫌いではなかったようだ。行事のお弁当にはいつも鶏の唐揚げ(手羽元)が入っていた。ちなみに波子の好物は唐揚げ、メンチカツ、ハンバーグ。なんかちょっと低価格帯な感じがする。海子は最後の晩餐はステーキがいいらしい。

米子は家族に料理を作ることに没頭していたが、本人が好きな食べ物がなんだったのかわからない。作ってるとお腹いっぱいになっちゃう、と言ってたのは誰だったっけな。波子には残念ながらこれは当てはまらない。


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