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波子のこと#5 小学校5年生視聴覚室から

波子は勉強も運動もよくできた。だから自然と委員会では委員長、応援団では応援団長などなどなんでもリーダー的ポジションになる。なりたかったのか、と言われるとなりたかったというよりなった。でも小学校で○○長と呼ばれる役職は実は大した仕事もなくて、名ばかり管理職みたいなもんだ。強いて言えば行事の時に挨拶があるくらいかな。

最近では「リーダー」像が多様化して、いいからみんなついてこい!みたいなのは全然嫌だし、「フォロワーシップ」という言葉もちょっと流行ったくらい、ぐいぐいじゃないんですね。憧れの先輩、それはあくまで仕事上の、というのは今はどんな人が理想とされてるんだろう。できる人ほど謙虚だし、感情的な振る舞いもしないし、つまり、信頼できるとか人間としての基本みたいなことに繋がるわけだけど、悲しいかな組織の中に長くいるとそういうものが薄皮が剥がれ落ちていくように残念な人たちもたくさん出来上がっていく不思議。

向上心を否定するわけではないんです。それは個々人が自分の中に持っていて誰かと比較するものではないので。ただ、その比較というのが厄介で、人と比べて自分はどうだ、と、仕事で感じる、容姿で感じる、年齢で感じる、生い立ちで感じる、学歴で感じる、住んでる場所で感じる、そんなの言い出したらキリがなくて、それは程度問題なんでしょうね。

で、波子は5年生の時に3階の視聴覚室から飛び降りようとしました。それも突然。その直前やその前日、もっと言えばその日の前数日に何かショックなことがあったとかそういうわけではなく、本当に突然衝動的に。うおーって感じで叫びながら窓に走っていってクラスメイトたちが止めてくれて、先生が来て。はあはあしてた波子はとりあえずその場に座らされて「どうしたの?」「なにがあったの?」ということを立て続けに質問されたけど理由なんかなくてうおー。だから、答えられない。

誰かの気を引きたかったのかもしれない。

その誰かは多分、波子の母、海子。

海子はその頃家で仕事をするようになっていて、3LDKのうちの一部屋を仕事部屋にしていたから、小学校から帰るとまずその仕事部屋に行ってひとしきりかまってもらう。もらいたいのだけど、波子が家に着いたタイミング次第でかまってもらえない、どころか、ピリピリモードの時さえある。海子は基本的におっとりさんであまり声を荒げたりすることはないけど、仕事してるとこういうことになるのかと割り切れない思いを感じていた。せっかく波子が帰ってきたというのになんで喜ばないんだ、と。

海子は「たとえ波子が逮捕されてもママだけは波子の味方だ」ということをよく言っていた。ふうん。極限状態のことを言われても、なんか、ふうんって感じじゃないですか。それよりも今の波子を見て、波子の話を聞いて。そんなところですかね。

飛び降りようとした顛末は当然担任から海子に連絡が入り「ママが働いているからこういうことになってしまうのか」という趣旨のことを哀しげに呟いていた。ちなみにこの常套句は波子のちょっと問題行動の時には必ず繰り出されていたわけだけど、それだけが原因じゃないよね、とずっと思っていた波子なのでした。


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