伝説の金貨③

   特攻隊があった時代は、社会がそういう方向に向いていたから、自分だけが助かりたいと思う気持ちを持っていても表には出せなかったと思う。
   去年、家族旅行で知覧に行き、閉館時間間近に、記念館に入り、特攻隊員のあどけない顔の写真を見て、いろいろ考えてしまったことを思い出した。

   戦争中は不本意でありながらも、国の為に奉仕する気持ちを持てなかったら、国民は戦争に臨めなかったのではないか。
   国の為にという大義名分があったから、疑問や疑念を生じながらも、戦っていた祖先の人たち。
    戦争が善悪や、好き嫌い、良いか悪いだけの戦いだったら、特攻隊なんて話は出てこなかったかもしれない。
    戦争を経験していないので、本当のところは分からないが、日本が敗戦すれば国が滅ぶ、子どもや子孫の為にやらなければならない、そういった気持ちが、特攻隊の兵士の魂にあったと思う。
   その行為について考えると無償の施しとは言いがたい、また偽善でもない。
    目の前に迫ってくる災難や危害をかわすために、人間の本来の生存本能が、人々を戦争に向かわせたのかもしれない。
    100人に聞いて戦争が正しいことと、答える人間はおそらく、皆無だろう。
    それをわかっていながらも繰り返し過ちをおかす人類に救いはあるのだろうか。
    また逆に国の為に、国の為にというが、他国の人を殺害してまで、自国の幸せを願う人間が、何人いるのだろうか。
    これはまさしく、自分のことしか考えていないことだと思う。
    だから見返りを求めない行為ではなく、対極にある行為だとおもう。
    私はぐるぐると頭の中で、戦争のことを考えていた。
   悪い癖であった。
一つのことを考えてしまうと、考えすぎて、自分の中で結論を出したがってしまうことだ。

    まもなく駅に到着する。考えごとをすれば何て時間が経つのが早いのだろうか。
この間のあの老婆は、もしかして毎日ああやって人を脅かしているのではないか。
一度あの時間帯にもう一度公園に行ってみよう。
    もしあの老婆がいたら、なんて暇な人間なんだろうか。
    あの老婆こそ、ほかにすべきことがあるんじゃないのか。
     私は怒りが満ちてきて、顔を紅潮させてしまった。
    前に立つサラリーマンが怪訝そうに、私の顔をチラ見していた。
    翌日、思い立ったら行動にすぐうつす私は、会社の終業ベルが鳴ったところで、同僚からの
                  今日はどこ飲みに行く❓
の誘いを断り、あの公園に足をむけた。

つづく

#小説


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