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変化する生活の中で

女はやっぱり結婚したり子どもを産んだりして無理やりむりくり生活の変化を強いられる場面が出てくる。

わたしはまだ前者だが、前者にまでもまぁ至ってはいない。いわゆる同棲をしている。それでも引っ越しと、退職、環境の変化を味わっているわけで。


まず引っ越し。まだ実はしっかり終わっていない。 
前の一人暮らしの家は遠くに残したまま。次に戻るときには手続きできるようにはしておかないと。


次に退職。
これがでかい。もう2ヶ月以上仕事をしていない。
パートナーは「まだしばらくは何もしなくても食わせていける貯蓄はある」と言ってくれるが、その先に貯蓄、生きてる?信用していないわけではないけれど、心配になり、仕事をいま短期で応募中です。

しかし人間、生きていくには金を食うわけで。

この何もしない時間を無駄に感じる。
「土地や生活に慣れる」という意図を取ろうと思えば取れなくもないが、わたしは「無駄に金を食う」としか感じられず、少し心苦しく生活している。


環境の変化は、上記の総集編なのだけれど、やっぱり「変化」に弱いわたしにはキツい。逆境には強くあろうとしたが、気力体力は持たず、気持ちだけではなんともならなかった。

環境が変わって1ヶ月は頭痛や情緒不安定、吐き気などの時間が多くてよくない体調で過ごしたし、2ヶ月ほど過ごした今だって実際すべての不安が拭えたわけでもない。

ようやく全体的に太り始めて、健康に日々は過ごしているものの、運動不足は感じる。はやく仕事に就きたい理由には、これも、こっそりある。


社会的な閉鎖空間で2ヶ月過ごしてみて思ったのは、「主婦たちの苦悩」。
きっとわたしに今子どもがいたら自殺していたと思う。それかメンタル崩して暴力。こわい。
世の主婦たちは何を基盤に、生きていけているの?
悩みもきっとあって、この閉鎖空間で毎日過ごして、赤ちゃんの泣き声と一緒に泣いて、

そんなことを妄想して、がんばってる人たちに失礼なことを思っていた。

「わたしだったら」本当にきっと崩れている。


世のお母さんたちの強さと、自分の母親も、頑張っていたことを、じわ〜っと、想った。

お母さん、がんばったね。おつかれさま。
でも今は寂しい、と言葉の片隅で呟いているね。
気づいてるよ。
ここまで育ててくれてありがとう。だいすきだよ。

今はこの変化に負けないで、パートナーと共に歩んでいくこと、そしてこの経験が、誰かが困っているときに、手助けできる経験になることを祈っています。

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