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報道の自由度は本当にないのか?

はじめに

近年日本が民主主義国家でありながら、日本が報道の自由度が少ない国として取り上げられています。これをメディアでは安倍長期政権下での様々なスキャンダル(反対派のでっち上げ)をもみ消そうとしたからであり、今でも政権に有利なことしか報道できないと喧伝しています。安倍政権時代のモリカケ問題がその最たるものだとよく言われています。本当にメディアは政権の圧力に屈し、独裁国家への道をあゆんでいるのでしょうか?それを検証したいと思います。

報道の自由度を自ら奪った

モリカケ問題で話題になった忖度については当時の議事録に記載はありませんし、忖度があったと言い出した前川喜平元文部科学事務次官がメディアで言ったような発言はどこにもありません。つまり、報道の自由度を奪ったのは時の政権ではなくメディア自身なのです。これが今回の結論です。安倍政権下で安倍さんに有利なことしか報道できないと言っていましたが、むしろ時の政権を擁護する報道はほとんどありませんでした。あの頃のメディア、特にテレビでは安倍さんをこき下ろすようなことしか言わず、関係のない昭恵夫人にまで飛び火しました。安倍さんのしたことがすべていいわけではありませんが、すべて悪いわけでもありません。にもかかわらず、安倍さんのやることなすこと真っ向から批判することにメディアは腐心していました。まるで学校のいじめ、そのものです。
日本の報道の自由度は2010年に11位を取ってから2012年に22位になり、2015年に61位になりました。メディアの独立性、多様性、透明性、自主規制、インフラ、法規制などが主な判断基準です。G7で最下位になり、日本が独裁国家の道を歩むと当時言われましたが、独裁国家にはなっていませんし、むしろ、あれだけの批判的な報道をして取り締まられていないことが民主主義国家であることの何よりの証拠です。つまり、日本は報道が自由過ぎるがゆえに無秩序になってしまったのではないかと考えます。自由からの逃走をメディア自身がしたのではないでしょうか。
報道の自由度ランキングが下がり始めたころと自民党が政権復帰した時期と被り、自民党がメディアに圧力をかけていると左翼の人たちはよく言いますが、それは単なる妄想です。白い粉でも吸って幻覚でも見ているのかと思うほどです。このころからメディアが安倍さんを叩くようになったのです。モリカケ問題や特定秘密保護法案で安倍さんや時の政権を擁護する声を抹殺し、切り取りにつぐ切り取り、でっち上げるメディアに独立性はあれども、多様性、透明性、自主規制などがあるわけがないです。政治的に中立でなければならないという放送法の理念にも違反しており、法規制にも抵触しています。これだけの基準に照らし合わせれば、G7最下位も納得がいきます。

そして、近年では安倍さんの事件の山上被告や国葬問題についてもどう考えてもメディアの報道姿勢は常軌を逸していますし、あんなメディアに自由度があるとは誰も思いません。テロリストを擁護し、凶弾に倒れた政治家を罵倒するメディアが反権力であることは理解できますが、反権力でありたいがゆえに暴力や野蛮な行為を肯定しているようではメディアの意義はありません。そんな不安を感じていた矢先に第二の山上被告のような人間を生み出すことになりました。法令遵守のかけらもないように思えて仕方なりません。
岸田さんがウクライナを訪問している様子を報道したり、ウクライナを訪れている様子をライブ中継のような形で報道したりしている姿は情報管理や安全というものを全く考えず、ただ、自分たちのスクープを追いかけているようにしか見えません。雲仙普賢岳の噴火を取材していたメディアと全く同じで反省が全く生かされていません。
確かに、岸田さんがウクライナを訪れたことは大ニュースです。しかし、戦地へ赴く以上、リスクもあります。一国のトップが戦地に訪れるとなると、敵国はそれを狙おうとします。そのリスクを考えると、事後に報道すべきでした。テレビメディアの信頼回復は遠ざかる一方です。無節操な報道を繰り返している彼らに日本国民は辟易としています。どうでもいいでコンプライアンスを出しますが、自らの報道に対しては無秩序であるといったダブルスタンダードは最悪です。国の要人を危険にさらすようなメディアが法規制を守れるほどまともな神経を持ち合わせているとは思えませんし、仮に法規制に違反して、処分が下される段階になると国家による弾圧と喚き叫ぶでしょう。今のメディアは国民にとって非常に厄介な存在に成り下がっています。
2015年に61位を取ってからメディアがより無節操になり、その結果が昨今の小西議員による言いがかりです。あの問題は決着が付いたにも関わらず、いまだにメディアは高市さんを黒にしようと必死です。特定の政治信条を理由に叩くメディアを見て、報道の自由があると誰が思うのでしょうか?どう考えておかしいとしか思えません。切り取りに次ぐ切り取りの結果、国会運営がワイドショー的なものに成り下がっていますし、それをよしとするテレビメディアは非常に醜悪です。


メディアは裸の王様?

テレビメディアの信用は失墜の一途をたどっています。歴史をたどれば、北朝鮮に拉致の否定、松本サリン事件のでっち上げ報道から始まり、麻生政権時代の漢字が読めない問題、そして、第二次安倍政権を貶めるような報道と枚挙に暇がありません。読売新聞や産経新聞はまだ彼らのポリシーを貫いていますが、朝日新聞や毎日新聞は最悪です。何かにつけて政権批判をし、どうでもいいことを悪いように取り上げ、本当に取り上げるべきことを報道しません。産経や読売はウイグル問題や中国による領海侵犯を取り上げています。しかし、それでも不十分なところはあります。
昔はテレビに代わるメディアは新聞やラジオでしたが、平成後期になるとネットがオールドメディアに代わる媒体となり、情報の精度も高くなりました。いまだにネットでデマは存在しますが、切り取りに次ぐ切り取りを行っているオールドメディアもデマを流しているに等しいです。オールドメディアよりネットメディアが劣っているという理由にもなりません。むしろ、オールドメディアのほうが劣化が激しく、情報伝達の役割は失っていると思います。彼らの頭の中には保身と政権批判とお金以外ありません。政権批判とお金を結び付けて、正義のヒーロー気取りでいますが、解決をするどころか混乱や対立を深めてしまう結果に終わってしまい、その結果の後日談が取り上げられることは少なく、そのような後日談はネットメディアで取り上げられることの方が多いです。そのときにオールドメディアの無節操ぷりが鮮明になります。
テレビメディアをオールドメディアがなぜ信用されなくなったのか?という問いに対してテレビを含むオールドメディアは、「簡単に情報が入るネットメディアのほうがアクセスしやすい」という答えすることが多いです。そして、その答えに、「情報の取捨選択ができなくなっており、リテラシー能力の低下が懸念される」という言葉もハッピーセットのオマケのように付いてきます。後半の文言は不要ですし、テレビメディアであれ、ネットメディアであれ、リテラシー能力が低い人は低いですし、高い人は高いです。この質問自体、自らの権威を保とう必死なテレビメディアが生み出した答えであり、核心ではありません。
テレビメディアは自己擁護し、信頼できるメディアであると言いたいのでしょうが、もうネットメディアでその元情報が流れ、テレビで流している情報が悪意のある切り取りであることがばれているのです。彼らのぼろはとっくに出ています。そういうことを言えば、言うほど人は離れていきます。この姿は国会でどうでもいいことを追求して正義のヒーローにでもなっている立憲民主党とほぼ同じです。立憲民主党がそういう行動を繰り返せば繰り返すほど、事実として、支持率は下がっていっています。逆に野田さんや松原さんのようにまともなことをされている方が取り上げられると立憲民主党でも支持率は上がります。テレビメディアを含むオールドメディアは受け手をバカにしているように思えてなりません。


最後に

報道の自由度はメディアが自ら奪い、その責任を時の政権のせいにすることで、権力を監視するというメディアの役割を果たしていると思っているのでしょう。それは大きな間違いで、メディアがその姿勢を改めない限り、報道の自由度ランキングが上がることはないでしょう。彼らの非を認めないまま、今に至り、テレビメディアを信用する若者が減ってきています。テレビ離れを招いたのはテレビメディア自身であり、その姿勢を改めない限り、離れた人が戻ることはないでしょう。自縄自縛とはまさにこのことです。彼らの報道姿勢に辟易としていることに気付くべきで、今の姿勢を改めるべきです。それができないから凋落の一途をたどるのでしょう。人のせいにするのは簡単ですが、本当の原因が自らにあることを報道するのもメディアの大きな役割だと思います。

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