ジンギスカンの歴史を語りたい。
それは北海道の代表する郷土料理
我々北海道民に取っては、ジンギスカン=焼肉という感覚で美味しく頂いていまして、道民の大多数が大好きな料理です。
道外の人は「匂いが嫌」という人も多いらしいです。ラム肉・マトン肉を焼いたときの独特の匂いが臭いと言うらしいです。でも、我々は昔から食べてきたのでそんなに気にしたことは一度もありません。
そんなジンギスカンですが、一時期全国的に人気が出ていたときがあります。
それは、他の豚肉や牛肉と比べてヘルシーである事らしい。
当時は川崎市に住んでいたのですが、川崎市内にもジンギスカン専門店が営業していましたね。
ただ、正直言って東京で食べたジンギスカンはあまり美味しくはありませんでした。
是非ジンギスカンを美味しく食べたいと思うなら、北海道に来て本格的な美味しいジンギスカンを食べて欲しいです。
ジンギスカンには大きく分けて2種類ある
ジンギスカンは地域によって異なるのですが、大きく分けて2種類に分かれています。
その分岐点は滝川あたりを堺に、北はラム肉を独自のたれに漬け込み、冷凍状態で販売している味付けジンギスカン。南は生のラム肉を焼いて専用のジンギスカンのたれに漬けて食べる生ラムジンギスカンです。
味付けジンギスカンは焼く前からすでに味付けがしてあるので、それをそのままジンギスカン鍋で焼き、肉汁が溢れてくるので、その肉汁で野菜を煮て食べるスタイルです。
この肉汁にうどんを入れて食べるのがとっても大好きでした。
生ラムジンギスカンはお肉を焼いたときの脂が野菜に染みこみ、美味しく炒まって専用たれに漬けて食べます。
使用するたれも大きく2種類に分かれていて、ベル派とソラチ派で個人の好みが分かれます。まぁ、普通の焼肉のたれでも美味しいですが。
なぜ羊肉が食べれるようになったのか
こちらのサイトの記事をベースにまとめていきます。
第一次大戦中に羊毛の需要があるにもかかわらず輸入が出来ないという事態となり、国策として日本の5箇所に種羊場を設置して羊毛の生産が開始されました。
そのうちの2箇所が北海道の滝川と月寒が指定されました。
ということで、種羊場を設置したのですが、第二次世界大戦が終戦を迎えると羊毛が安価に輸入できるようになり、種羊場は廃止になりました。
このとき、増えすぎてしまった羊をどうするか、ということになり、何とかして食肉化できないか、という研究が始まりました。
その結果、月寒では生ラム肉をたれに付けて食べるスタイル、滝川では独自のたれに漬け込んで食べるスタイルが生まれ、その地を中心に広まっていき、一般に普及していきました。
ジンギスカン鍋にも歴史がある
ジンギスカン鍋と言えば、真ん中が盛り上がっている形状をしており、その盛り上がっている部分でラム肉を焼き、周りの窪みにで野菜を焼く形になっています。
肉を焼いたときに出てくる肉汁で野菜を焼く・煮ることにより、お肉も野菜も美味しく頂くことが出来ます。
しかし、ジンギスカンが普及し始めた当初は、ジンギスカン鍋も様々な形がありました。
STVの明石英一郎アナウンサーが個人でジンギスカン鍋をコレクションしているほか、岩見沢にジン鍋アートミュージアムという施設もあります。
当時、ジンギスカンはどのようにして食されていたかというと、
お肉屋さんでジンギスカン肉を購入したとき、一緒にジンギスカン鍋をレンタルして、焼いて食べるという形を取っていました。
そこに目を付けたのはベル食品。
たべーるべるべるベル食品♪
ベル食品は、自社のジンギスカンのたれの販促として、お肉屋さんに対して「ベル食品のジンギスカンのたれを大量に仕入れてくれたら、ジンギスカン鍋を差し上げます」ということを始めました。
お肉屋さんはこれを大歓迎。
だって、レンタル用のジンギスカン鍋を用意するのにお金かかるからね。
こんな感じでベル食品製のジンギスカン鍋が大量に貸し出されることとなり、その結果、ベル食品のジンギスカンの鍋が現在のジンギスカン鍋の原型となります。
と言うことでジンギスカンでした。
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