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「こうありたい自分」と「こうであってほしい他人」

他人の気持ちを勝手に思い込みで決めつけて、あれこれ判断するのはもうやめよう
大抵苦しくなるだけだし、何より相手にも失礼だ

僕は、その他大勢の人の人生を歩んだことがない

何を見て、何を聞き、何を食べて育ち、どんな言葉を浴びて、どんな人とどのように関わり

どんな幸せを感じ、どんな不幸に苦しみ、どんな逆境を乗り越え、今に至るのか


その中でつくられてきた価値観や判断基準、性格、思考や行動

それをよく知りもしないのに、自分の印象や思い込みだけで、勝手に良くない方向に決めつけることを、僕はよくやっていた

それって、相手のこれまでの人生に失礼だな、と思うようになった


同時に、それは自分自身に対しても失礼だなと思った

相手の人生を好き勝手に解釈しておきながら、その解釈をもとに僕は勝手に傷ついて生きてきた

「どうせ誰も僕のことわかってくれない」

「僕はみんなと違って何もうまくいかない」

人の人生を思い込みで決めつけているうちに、自分の人生も思い込みで決めつけてきた


人と人は、お互いのことを100%理解することは、まずできない

だからせめて、分かり合い、歩み寄る努力をする中で、「こうであってほしい他人」をみんなが求めてる

だけど、だ

そもそも、自分のことを100%正しく理解することを何人の人ができているのだろうか
少なくとも、僕は全くできていない

そしておそらく、他の人だって同じように、自分のことも完全には理解していないんじゃないかな、と思う


だからこそ、人は誰しもが

「こうありたい自分」

を持っているんじゃないだろうか、と思う


「こうありたい自分」と「こうであってほしい他人」

どちらも結局、不確かで脆いものなのかもしれない
あるのは、理想だけだ

ちょっと捻くれた言い方をすると、「自分にとって1番都合がいい解釈」


だからこそ、相手の気持ちや考えを、僕が勝手な理想に当てはめて相手を判断するのは、要するに自分にとって都合がいいか悪いか、ただそれだけだったんだと気づいた


だから、もうやめようと思った


それはきっと、ありたい自分を否定することにつながるから

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