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昭和残る有名廃村. 永谷集落に行った実際の話【福井県おおい町名田庄】2020年


福井県大飯郡おおい町名田庄永谷

永谷集落。


殆どの方は知らない地名だと思う。
知っている人はYouTubeでたまたま知ったか、
廃村マニアの人だ。
前提知識をネットから引用する。
全住民退去もダム計画が消滅…水没しなかった「悲哀の廃村」無人化から“35年目の世界”
 福井県の山深い場所に、その集落はある。京都府、滋賀県との県境に近く、県道35号から南に伸びる頼りない一本道しか交通手段はない。都会の喧騒とはかけ離れたこの場所に、かつて9世帯が暮らす永谷集落があった。

 その平穏な村にダム計画が持ち上がったのは、今から40年前の話だ。ダムが完成すれば、集落は水没して消滅する。穏やかな日々を過ごしていた住民たちは、賛成派・反対派に分かれて対立したが、最終的には全世帯が移転し、集落は無人となった――。


要約すると
福井県の山奥にある小さな集落が水力発電によるダム建設の為、立ち退きを要求され、結局反対意見など裁判があり、決定までの間に住民は立ち退き、村は廃村になったが、時代の流れで2000年代関西電力も結局作るのを辞めた土地になる。
廃村は1985年。反対派の4世帯が住んでいた。
現在でも数軒の家屋が残っていて、たまにYouTube、Twitterなどで廃村、昭和の原風景の様に紹介されている。または心霊スポット。

名田庄村の時代の流れ

僕が知った理由
2020年頃、コロナ禍で全く外出も出来ず動けなかったが、たまたま見ていた廃村YouTuberの方や、写真家の方にアップされてて行ってみたくなった。
時間にして金沢からだとおよそ4時間はかかる。

昨今のYouTubeの再生数稼ぎ、ネタになるので大げさな紹介、
永谷が心霊スポットやら明らか間違った取上げられ方をされているので訂正したく今回書いた。

自分は昭和の風景が残った場所が大好きなので2020年に行った。
おおい町自体は福井、京都、滋賀の県境部分で永谷集落から15キロ前は
例えるなら田舎の便利なスーパーなどが並んでいる所、堤防の道を走ると10キロ前で集落があり、大きな住宅など数十軒の民家がある、
5キロ手間で最後の住宅が数軒ポツポツあり、
永谷集落の一本道がそこからあり道に簡易バリケードが置かれている。
冬季は通行止めに置かれている。
なので行くなら春から雪が降る前になる。

10キロ前は民家が多い
5キロ前のバリケード

1回目に行った記憶(2020年4月)

事前にYouTubeなどで動画を見ていたが、途中の道などは当時出ていなく、狭い林道から洪水になったら明らかに道が無くなる場所がある。
(川と高低差はほぼ無い所)
もちろん携帯は圏外。確かドコモとAUを2台持ちして行ったが圏外だった。
パンクすると電波が届く民家まで歩いて戻るしか無い。
かなりパンクの恐怖で怯えていた。
平日午後2時くらいに着いたから暗くなる前に帰りたかった。

湿地帯の地質でドロドロしている


山道を進むと、いきなり永谷集落はポンと出てくる。(運転中録画していた時間を見てみると5キロなのに山道で20分近くかかっていた。)

雨が降ると湿地帯なのかジメジメしていて村が暗くみえる

今だとまぁ出ないと思うが、クマが出るかもしれないなど動画で言われていて、まぁびびっていた。
(コウモリは民家に住み着いていて、クマは村奥の山道で遭遇する可能性はあります)
時期によるが永谷集落は湿地帯でぬめり道、湿気が多い土地だった。
雨の日の後だと不気味に見える。

石川県の銅山の湿地帯に似ていて、まぁ人が居ないと不気味には見える。
Twitterに出ていた写真家のお寺の崩れた写真(最初の画像)が美しく行ったが、加工による物でただの潰れたお寺だった…。

崩壊した寺と集会場

永谷集落は
まだ倒壊してない民家二軒、倒壊寸前の蔵、
崩れた寺と横にあった集会場(2010年代に大雪で倒壊)木造物置、
(関電のダム建設に反対の文字はここに書いてる)
後は錆びた公園遊具など。
山を見上げると石碑があり、廃村以前のお墓。
マジで1人だと怖すぎたので唯一見える民家の入口と
周りを見てすぐに帰った。

綺麗だった桜
倒壊した集会所にも似た看板があったがもはや見れない

2021年5月に行った2回目。

自分が行ってからYouTuber界隈で永谷集落跡は流行っていて動画がかなり増えていた。
1回目は恐怖でそこまで詳しく見れなかったので、コロナ禍も続いていて、また行った。

2021年に行くと途中の道では伐採作業か、土建系の人が数人居た。
軽く会釈し、軽トラを動かして貰う。永谷集落の入り口に今更ガードレールが新しくつけられて、
全く廃村には見えない。

村奥まで行くと綺麗な川が流れ、水は透き通っている。こんな綺麗な土地は見た事が無い。
交通が良ければ良い土地だけどどうしようも無い。
村奥から20分ほど歩いたが車で通れる道じゃなく、穴が空いてい歩いてしか通れない。
昭和には使われていた古道で一応この奥から登山道らしいが時間がかかりすぎ仕方なく引き返すと、
横の集落の70代前後で町会長のよく喋るおじいさんともう1人付き添いの50代頃の方が軽トラで居た。不法投棄の見回りでたまに来るらしい。

おじいさんに詳しく説明してもらう瓦に作り手の文字が入っているらしい、関西圏なので関西弁

10分ほど運良く話をしていただいたが、
永谷集落の話を聞くと
住んでいた人は今も生きている、
(廃村が1985年なので子供の人とかだと今は50歳くらいだろうし、親とかでも80代くらいか)
昭和時代が一番多く40.50人は住んでいた。
廃村前は女優「加賀まりこ」が若い時に映画の撮影でこの寺に来た事がある、(寺が有名だったらしい)
わしが20代の時は村奥まで車で行けた。
金があった家は作りがしっかりしてるから残っている。垣やらあった。
村奥の広い場所は関電の作業部の資材置き場だった。一応関電は作る気でいた。
それがダメになってキノモト?か京都か兵庫に揚水発電を作ったと思う。
(実際は兵庫県の多々良木ダム)
倒壊した梁だけ残っている所が一番古い建物だった。表札も潰れる前は残っていたよ。
倒壊した家の瓦に作り手の文字が入っていて説明された。瓦の文字が違うなら中古で買ってる。
ダム範囲の京大保有の土地が建設反対していたのはそこの材木を売っていたから。(おじいさんの話なので真偽は分かりません、この時動画を回していて音声をそのまま書いてます)

など最後はダムから繋がり、石原裕次郎の黒部の太陽の話で盛り上がり、よく喋ってくれる方で色々聞けた。50代の付き添いの方は早く回りたい感じでおじいさんはせかされ帰って行った。
実際住んでいた方の話を当時は聞きたかったのである程度満足した。

住んでた人に一度話を聞いてみたかった
5月は天候がよくカラッとしていた
桜も緑になっている

ここで分かったのは心霊スポットでは全く無く、土地が住みにくく離村していったという事。
大雪、害獣の被害や、働くなら村から出た方が良い。
家のカレンダーも94年まで貼っていて、盆とかには戻っていたのでは無いかと思う。
山にお墓があるので。
家のメーターは1988年と書いてるので廃村が1985年でもまだ使っていたのが分かる。

2022年になると倒木で車では行けなくなっていた。恐らく今は復活している。

まとめ
永谷集落村奥を突き進むと数時間で滋賀県高島市朽木という場所に着けます。永谷は古道で昔は交流があったそうです。
車だと2時間周り道をする遠さ。


おじいさんの実際の話を聞くと、悲哀の廃村とかでは無く、大雪による転居、養蚕・林業の衰退、高度経済成長で働き口を探しに村を出た若い人、心霊スポットでは全く無かった。
ダム建設は関係無く、平成になると恐らくどのみち廃村になっていたと思う。
ここで栄えていた林業、養蚕などは昭和に衰退している。
また大雪、害獣、洪水、倒木で道は断絶される。

名田庄村誌(引用)によると実際は住みたくない方が多く、山間部は不便なのが分かる。

永谷への行き方

行くのは良いですが、平日午前中などが良く、パンクすると携帯は圏外でマジでヤバいのでそこだけ気を付けてください。

桜がホントに綺麗に咲く所で、植えた方は恐らく亡くなっている。ただ桜は綺麗に咲いている。
雨が降らない日が続くとジメっとしてなく、春か夏にまた行きたい所でした。

日本的風景で感動した
村奥の林道、滋賀に繋がり古道で使われていた


実際に住んでいた方には話はお聞き出来ませんでした。このnoteを見て住んでいて話をして良いという方がもし居られればXのDMをお手数ですが送って下さい。m(_ _)m

下記の動画は永谷、京都の内情などを詳しく言っていて、このユーチューバーさんの動画が実情を教えてくれる1番の動画です。一体何時間かけて、どうやって調べたんだ…。


補足で2009年頃の倒壊前の写真のブログ

2021年の村奥の滋賀県高島市朽木からの登山ブログ

古道 永谷登山

永谷の成り立ちを詳しく説明しているブログ

永谷奥の古道を歩いた詳細ブログ 前


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