見出し画像

自助論 S.スマイルズ 著 竹内均 訳

この本の原著は1858年に刊行されていて、著者のスマイルズがさまざまな視点から数多くの賢人を例に挙げ、そこから学びを得るといった具合の内容になっている。この本を通して改めて実感したのは、人の考えは人の性格によってそれぞれだし、持って生まれた環境、時代背景によっても移り変わる。しかし決して変わらない信条、思想、哲学も同時に確かに存在していて、それこそが現代までに語り継がれる財産であり、本のタイトルを借りれば、「自らを助く」糧になるということだ。

私が特に感銘を受けたのは忍耐について、すなわち待つことの人生における重要さだ。ここではフランスの哲学者マルトルの言葉が引用されている。

「いかにして待つかを知ること、これこそ成功の最大の要諦である」

我々人間はどうしてもすぐに成果が出る方法を優先してしまいがちだと思う。まして、失敗すらも成功の糧と思えるような余裕のある精神状態ならまだしも、日々の失敗によって目の前のタスクで手一杯の状況では待つ余裕はないだろう。結果、すぐに成果が出る方法を模索してしまいがちになり、大した成果も得られない、その場凌ぎの毎日を送ることになる。こうした日常のループに入ってしまえば、そこから抜け出すのは容易ではない。

そうした状況下にある者を私もよく見てきたが、これまでそこから抜け出せた者を見たことがない。今後の人生経験においてそうした者と出会うことがあるのだろうか。また現在においてそうした者にはどのように向き合えば良いのか。この本をきっかけに熟考してみたい。

まず目先のことしか考えられない状態はその人の環境的要因も大きいのではないか。基本的に周囲の人間というのはその人を評価するとき、自分が見たその一瞬について言及することが多い。自分が見たその瞬間に上手くいっていれば、調子良さそうだね、と声をかける。その逆も然りだ。何なら上手くいっていないのに調子良さそうだねと声をかける人もいる。所詮、他人にとって他人事なのだからその程度なのだ。別にこれは人付き合いを悲観的に捉えろと言っているのではない。それくらいに捉えていた方が良いということだ。最終的な意思決定も責任も全て自分に降りかかってくるのだから、まずは自己と周囲の線引きを行う。これが負のループから抜け出す一歩となる。

次に行うのはメンターの発掘だ。直前に人に期待しすぎるなと言ったので、矛盾していると思われるだろう。ここで言うメンターの発掘においては、順序と数に着目して考えてほしい。まず自己と他者の切り離しを行い、あくまでも自己をスタートして行動しなければならない事実を認識した上で、メンターからの外部の知識の吸収に努めるのだ。いわば種まき前の整地作業となる。

次に行うのはメンターの選定だ。数は少なければ少ない方が良い。余裕がなくなれば無くなるほどあれこれと手をつけがちになるもので、全てが中途半端になりやすい。膨大な情報から自分にとって必要な情報のみを取捨選択する作業は、自己を認識し、精神的余裕がなければ決して成立しない。そうした理由からメンターの数は最小限に、できれば一人が良い。

また望ましいメンターの資質については以下が挙げられる。

⒈精神的余裕があること ⒉時間軸で判断できること ⒊待てること

まず精神的余裕のない人間と伴奏する上で当たり前だが、同じように精神的余裕がないメンターは駄目だ。序盤はほとんど上手くいかない事の方が多いのだから、いちいち感情の起伏が起きているようでは先は暗い。そうした精神的余裕は俯瞰した物事の見方に繋がる。スポットの目の前の光景に一喜一憂する事なく、その人の成長曲線、目標までの距離を考慮した上で、成功も失敗も許容できるメンターがベストだ。すなわちこれが時間軸で判断することで、現代理論を織り交ぜれば「ピリオダイゼーション」的な発想でもある。となると、失敗が多くなろうとも焦らず「待つ」ことが大半となるので、待てる資質が必要というわけだ。

とはいえ、こうしたメンターが周囲にいる幸運な人はなかなかいないだろう。いたとしても教えを乞うのも難しいかもしれない。そのためにはどうしたら良いのか、私はそのための「読書」であり、思考なのだと思う。

優れた書籍は自分からは決して逃げていかないし、成功しようと失敗しようと書いてある内容は変わらない、いつまでも成功まで待ち続けてくれる。伝記、哲学書ともなれば、何百年も前の人物に教えを乞うことができる。これこそが読書の最大の効能ではないか。

話はだいぶ逸れたが、この「自助論」もいわば多岐にわたるメンターとの出会いの場を提供してくれる一冊になっている。中には詭弁と思える内容や、現代では時代錯誤とも思える発言もあるかもしれないが、その中から自分にとって最適なメンターを時間をかけて見つければ良いのだ。本の中のメンターはいつまでも待ってくれるのだから。

そうした粘り強い前身を続けた時、実り多き功績はきっと待っているに違いない。

最後に自助論の一節を引用したい。

「偉人の中には、世間からなかなか認められず辛酸をなめた経験を持つ者も多い。だが真にすぐれた人間は、他人の評価などにあまり重きを置かない。自分の本分を誠心誠意果たして良心が満足すれば、それが彼らにとって無上の喜びとなるのだ。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?