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勤勉は美徳か? 大内伸哉 著

労働について昨今の状況も踏まえながら改めて再定義した本だった。正直私にとってはそもそも勤勉を美徳とも思っていないし、雇用契約も会社に忠誠を誓うことで会社に生活を保障してもらおうとする制度と捉えている。ゆえに被雇用者の立場にたったこの本にはあまり共感することは少なかった。しかし労働の起源や根本的な概念について学べたのは良かった。

人生の中で一番長く使う時間を幸せに過ごす

これは人生の幸福度を上げる手段として非常にシンプルでわかりやすく、かつ合理的な必然の選択だろう。そして人生の中で一番長く使う時間とはなにか、すなわちそれが「労働」なのだ。

労働と幸福の結びつきについて考えてみたい。労働により給料が発生し、資産が増加する。資産の増加により、余暇を含めた時間のQOLが向上し、結果幸福になる形が一般の論理のように思う。一方で労働による資産の増加は関係ない、労働そのものに幸福を感じている人もいるだろう。この本が指し示すのはつまりこの後者の形である。人々は仕事をしなければ幸福になれないのだという。

古代ローマでは労働をひとつとっても、3つの言葉に分類されていた。

Action/Work/Labor

Actionは公的な職業のことを指し、今でいう政治家などが当てはまる。Workはより専門性の高い職業で、学者、医師、弁護士のことを指す。そしてこうした職業以外の雇用契約を結ぶような職業全般をLaborと呼んでいたのだ。この雇用契約には隷属契約的な意味も含んでおり、社会的位置も低いものだった。これは現代の働き方に大きな示唆を与えるものとなる。

雇用契約を結ぶことは会社の論理に従い、与えられた給料に対して働かなければならないということだ。労働基準法に定められた範囲内では、いつでも、どこでも、何でもやるのが被雇用者であり、それが会社に勤めることになる。これを海外と比較したときに「メンバーシップ型」の働き方だと表現される。つまり業務内容よりもまずは会社というコミュニティに属することが優先され、その中で仕事が与えられていく。裏を返せば、会社の利益を追求する仕事の達成度合いよりも、まずは会社の一員となることが優先されているのが日本的な考えなのだ。

一方で海外の場合は「ジョブ型」と言われ、あくまでも会社の利益追求のために社員は存在し、利益上げるうえでに必要なタスクを消化するために社員が存在する。社員も会社はあくまでも経済活動の場でしかない、それ以上でもそれ以下でもないといった捉え方で、コミュニティとしての意味合いが薄い。この点が日本と海外の大きな違いだろう。

ここで先程の古代ローマの労働の概念に立ち返ると、Workに値するものがジョブ型的な働き方で、メンバーシップ型はLaborな働き方だといえる。幸福度を追求するうえで質の高い働き方を実践するにはいかにWorkな働き方をするかが重要になってくるということだ。事実、古代ローマではWorkに属する職業への報酬は給料ではなく、謝礼として支払われていた。つまり報酬の支払い者よりも受け取り側の立ち位置の方が上で、この点が雇用契約(Labor)とは大きく違う。

今現在の自分の働き方は間違いなくWorkと呼べると思う。しかし先程の論理と異なるのは、今の自分の環境はジョブ型であり、なおかつメンバーシップ型である点だ。その点は本当に環境に恵まれていると思う一方、成果も出さなければならないし、成果を二の次にしてメンバーシップに依存する形を避けなければいけない。そうした意味での俯瞰したバランス感覚を忘れないようにしなければいけないという再考の機会を与えてくれたのがこの本との巡り合わせだった。

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