庶民こそ大学院へ行こう

 私は庶民である。東京下町、それも神田や深川といった古い都心部ではなく、まさしく東京府南葛飾郡であった郊外の下町の出身だ。普通の都立高校を出て、普通の私立大学を出たが、国立大学の大学院へ進むことができた。だからこそ、「庶民こそ大学院へ行こう」と声を大にして言いたいのだ。
 庶民が大学(学部)へ行くことにすら憤るような新自由主義者もとい腐ったブルジョア(富豪)どもにはそこらへんの草でも食わせておけ。私立大学が存在する以上、「貧乏人は国立大学に入ればよい」という妄言はナンセンスだ。そもそも日本の歴史上、私立大学こそ庶民の味方であった。受験戦争を初めとするメリトクラシー(能力主義選抜システム)に於いてブルジョアが強いのは資本主義的必然であって我々庶民の怠惰による結果ではない以上、我々庶民(人民)は、ブルジョアジーに基礎学力が及ばないことを恥じる必要などないのだ。現在でも入試偏差値の面では私立大学こそ庶民の味方である。戦前に至っては学費の面でさえ私立大学が庶民の味方であった。旧制高等学校(例えば現在の東京大学駒場キャンパス)の学費は三年間で1000円であったが、高等小学校(現在の中学校)を出て就職した丁稚の月給は20円にも満たなかった、そんな時代があった。個人の尊厳を重んじる者ならば、左翼でなくとも、私立大学こそを擁護すべきであるにも関わらず、現実の戦後日本では左翼こそ東京大学出身者を有難がってきたのは大いなる皮肉である。もっとも、日本ばかりではなく英米にせよ独仏にせよ、社会主義は大抵エリートのお遊びに過ぎなかったのだが……。数十年前までは一応労働者の味方を装っていた先進国の左翼政党が遂に労働者階級を完全に裏切るようになった顛末はPHP新書から刊行されている『労働者の味方をやめた世界の左派政党』という本に詳しく記されているので、高校生や大学(学部)生の諸君は是非この本を読んでほしい。
 私は、大学(学部)のみならず大学院も庶民に開放されるべきだと考える。私立大学(学部)を出て国立大学の大学院へ進学することは、我々庶民を敵視して止まないブルジョアジーども、或いは特殊日本的な、庶民自身の内心までをも蝕んでいるような偏差値信仰(※私も偏差値を全面否定はしない。庶民こそ、受験勉強に励み、より教育環境が優れた大学へ進むべきだからだ。)によって敵視され、マネーロンダリングならぬ「学歴ロンダリング」という奇妙な仇名まで付けられているが、よりよい教育環境を求め大学(学部)とは違う大学の大学院へ進んで何が悪いのか。私はまがりなりにも学問が好きで研究者志望であるが故に大学院へ進学したが、ブルジョアジーにだって遊び感覚で大学院へ進学する奴がいるのだから、庶民はなおさらそれでも良いではないか。ブルジョアジーは相続という悪行或いは犯罪を通して何ら合法的努力とは関係が無い資産を形成しているのだから、連中に庶民の大学生・大学院生を誹謗する資格などない。それなりの熱意を持って進学・在学する限り、庶民に罪はない。親の金で作られた高い基礎学力に胡坐をかいてロクに研究しないブルジョアジー子女の方が余程罪深いではないか。
 大学院の現状は我々庶民にとってむしろ好都合だ。文系の場合、就職したいだけの者は大学(学部)を出て就職する為、現在の大学院は純粋に学問に打ち込みたい庶民にとっての楽園だ。ある程度受験勉強しさえすれば、大学院は(学部よりは)入学しやすいというのは余り知られていない。
 とにかく、「庶民は大学へ行くな」、「庶民は大学院へ行くな」という類の言説はナンセンスであり、そのような暴言を撒き散らすブルジョアは万死に値する、ということだけは明確にしておきたい。我々庶民にも、熱意と或る程度の能力さえあれば大学院の門は開かれるべきなのだ。勿論、「女性は大学へ行くな」、「女性は大学院へ行くな」という言説もナンセンスで万死に値する。大学院は、たかだか高校レベルの基礎学力、性的属性、経済的状況に関わらず、熱意と或る程度の能力を持つ全ての国民に対し開かれるべきだ。庶民の女性こそ大学院へ進学し、この腐った社会を変革していこう!少なくとも庶民は、大学(学部)は私立大学、大学院は国立大学というルートを堂々と歩んで良いのだ。
 ブルジョアジー、経営者層(例えば経団連)等々の支配者層は我々庶民をできる限り貧しくすべく、相変わらず労働者の非正規化に血眼になっている。我々庶民が大学(学部)、大学院へも進学できる状態を保つのは難しい。我々は、我々自身を守るために選挙で投票する必要がある。政治家にとって、投票しない庶民は虫けら同然なのだ。どうか自分の頭で考えて、投票するようにしてほしい。大学院に興味が無くても、幼稚園や保育所の増設を願うならばどうか投票して頂きたい。
 庶民こそ大学院へ行こう。庶民にこそ学問は微笑む。庶民にこそ、学問は体得されうる。庶民的な、刻苦勉励のエートスこそが誇り高き教養主義文化を支えてきたのを知っているだろうか。そう、庶民こそが大学院生にふさわしいのである。


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