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「仲間」がいるということ【Footwork & Network vol.19 No.7】

オレ、大学生になって初めて「仲間」ができました。

「仲間」とは...?

 大学受験期の担任が「クラスメイトはなかまです。なんでも相談しあって互いに高め合いましょう」と言っていた。そんなことできるわけがない。クラスメイトはあくまで他人で、競争相手なのだから。 

じゃあ、「仲間」ってなんだ?

 大学に入って、交友関係がリセットされた。大学は「仲間」を探す場所だと高校の恩師が言っていた。そのために躍起になって出会いの数を増やそうといろいろな努力をした。そのおかげか多くのナカマができた。ナカマと過ごす時間は楽しい。それはもうとても。大学生らしくオシャレなお店に行ったり、徹夜でゲームをして遊んだり...。でも、何か物足りない。自分の中のぐちゃぐちゃしたものをぶちまけられるひとがいない。それじゃあ高校までと大して変わらないじゃないか。

じゃあ、「仲間」ってなんだ?

出会い

 長岡ゼミには3年の後期から入るという少し特殊な方法でお邪魔することになった。「そんなことする変人はオレくらいしかいないだろう」と思っていた。

いた。2人もいた。

じゅんりとりんかだ。特にりんかにあたっては公認会計士試験の試験勉強と同時進行でゼミで活動しようとしているというのだから恐れ入る。会計士というキャリアに加えて、何か社会のためにできることを探しているらしい。ただでさえ試験勉強で忙しいのに、さらに「その後」のことも考える。相当の変人だ。だけど、最高にカッコいい。今まで出会ってきたひとに「試験は通過点」と考えているひとはいなかった。

 今回の記事を書くにあたって、3人で対面で話す機会を何度か設け、お互いのことを知ろうとした。そこで自分でも不思議なことが起きていた。会ってそこまで時間の経たない彼女らにベラベラと自分のことを話していたのだ。長年の友人にすら言っていないことまで。自分でもなぜそうしたのかはよくわかっていない。相手にとっても聞いていて気持ちのよい話でもないのだから。だが、なんとなく「ふたりなら受け止めてくれる」と直感していた。実際、オレのとりとめのない話に対して彼女らは真摯に向き合ってくれたし、そこからの対話はより内容の濃いものになったように思う。自己について語るのがそこまで得意ではない自分が「もっと話がしたい」、「もっと知りたい」と思えたのはとても久しぶりだった。

これが、「仲間」か。

「仲間」とは

 ...わからない。「仲間」がいったいどういう人のことを指すのか、まだ言語化ができない。でも、いつかはこの言葉に自分なりの答えを出したい。そのためには、より多くの時間とより多くの出会いが必要だ。

「仲間」がいるということ
=「熱くなれる」ということ

 でも、現時点で発見したこともある。「仲間」が誰なのかはわからないが、「仲間」がいれば自分はどうなるのかは分かった。「仲間」がいると、「熱くなれる」のだ。歳を重ねるにつれ、みんなクールな生きかたというものを知って、心が冷めていく。まわりにひとがたくさんいたとしても、どこかで孤独を感じて心はもっと冷めていく。そんな心を温めてほぐしてくれるのが「仲間」の存在だ。「仲間」になら友人にはあまり言わないようなことも言えるし、「仲間」とならどんなバカ(にされるよう)なことだってやれる、そんな気がしてくる。

誰かにとっての「仲間」に

 大学生のこの時期にそんな「仲間」とめぐり逢えたことはとてもラッキーなことだ。「人生が一変した」なんて大げさな言い方は恥ずかしいが、今の生活に大きな影響を与えてくれている。ただ、それで終わってはもったいない。じゅんりとりんかにもらったこのラッキーを誰かにおすそ分けできるような人でありたいと思う。自分にとっての「仲間」を探すのと同時に、誰かにとっての「仲間」になるため自分を磨く。越境活動における新たな目標がまたひとつ増えた。

#melc2021  #仲間 #出会い

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