見出し画像

明後日の世界へ

僕には世界が2秒早く訪れる。

昔から感じていたのは、他人よりすこしだけ早く反応できてるな、という些細な自尊心だった。返事が周りより少しだけ早い。踏み出しが早い。もしかしたら本当に反応が少し早いだけで、世界の時間軸の中には収まっているのかもしれない。でも僕にとっては、世界を他の誰かよりも先駆けて体感できていると思った方が、楽しくて仕方なかった。

そんな僕はこの日本でただの中学生をやっていて、将来の話はてきとうに大人に合わせていた。せっかくだから、この小さな優越感を活かした、何かいい仕事に就きたかった。

サッカー部での練習の帰り道。季節は冬になっていて、陽はとっくに落ちていた。僕のポジションはGKで、自慢じゃないがナイスセーブの連続をみせるから、試合でもいつも褒められる。今のところ、僕の将来就きたい職業の最大候補だ。このまま僕の超反応でナイスセーブを続けていれば、ヒーローになることも間違いない。それもそれで、楽しそうだ。
この田舎道には街灯もロクにない。主要道路に設置されてはいるが、周りは広い畑に囲まれているため、夜の暗さが際立つ。ここから一番近い家まで、何十メートルあるのかすら曖昧になるほど、農耕地が広がっている。小さい頃から夜が好きな僕にとっては問題ないが、友人の中には今でも全速力で帰路につくヤツもいる。ある一本の街灯を通り過ぎた時、それは僕の顔面目掛けて、僕より高い位置から投げてきたような角度で飛んできた。何かは判らなかったが、とっさに身をかわす。

かしゃん

僕のやや後方、通り過ぎた街灯が煌々と照らすアスファルトにそれは落ちた。きらりとしたそれの全体を知った瞬間、背筋が凍り付いた。
ナイフだ。
見たこともない刀身の細さと握り手の形状だが、凡そナイフと呼べそうなものだった。追撃が来るのか?そう感じた僕はナイフを飛ばしてきた誰かがいるであろう方向を見る。
背後から得体の知れない気配を察知し、飛び退くように左足を軸にして半身を翻す。
再度見えた、街灯の下。
目だけが見える覆面を着けた、黒ずくめの人が、僕のすぐ横に立っていた。

―――忍者だ。

直感的に僕はそう思った。テレビドラマで見たような、忍者の姿をしていた。ぐわ、と、忍者の左手が僕の胸倉目掛けて伸びてくる。それをしゃがんで回避する。掴まれたらまずい。先手を取るか?取れるのか?考えるよりも先に、一か八かで足払いを仕掛ける。ソイツの脚に思いっきり蹴りを入れた瞬間、僕の脚に鈍痛が走った。まるで金属バットを蹴ったみたいな痛み!

「いってえええええええええ!!!」

忍者の動きは一瞬止まったようだったけど、僕にとってはそれどころではない。蹴りを入れた足の甲がやばいぐらいに痛い。折れた。絶対折れた。
目をつぶって叫び、痛みに耐えていた僕の口元が塞がれた。忘れていた。目の前にいたのは、忍者だったんだ。僕の痛む姿に笑うでもなく、様子が落ち着くまで待ってくれる訳もない。ぐっ、と、僕の口を塞ぐ手に力がこもる。怖くて目が開けられない。
ああ、僕は、ここで死んでしまうのか。なんてあっけない―――
そう思った瞬間に口元の手が離れ、身体がふわりと浮かんだ。驚いて目を開くと、なんと、忍者は僕のことをお姫様抱っこして運んでいる。そのスピードたるや!僕が走るよりも早いスピードで、闇間に紛れるように移動している。
「え!?え??」
僕が混乱していると、忍者は語り掛けてきた。地鳴りのように低い声だった。
「少年よ、選べ。」
「は、はい。」
「今ここで死ぬか、お前も闇の権力に仕える稼業人になるか。選べ。」
「か、かぎょう、にん??」
「あー…」
忍者は僕を抱えたままくるりと方向転換して、近くにあった農地備え付けの納屋の扉を蹴破り、僕をそこへ叩き込んだ。
「いったい!!」
「アサシン、だ。おまえぐらいのガキならゲームで聞いた事もあるだろう。」
「アサシン」
思わず真顔になってしまった。
「俺の姿を見たからには、もうお前にはこの二択しか残されていない。」
そんな馬鹿な、と、思った。だって、振り返ったら街灯に下に居たんだから―――
「その二択をさせる為に、わざと俺の姿を見せたんだがな。お前は表情が判りやすすぎる。」
僕は黙った。この人は新手の通り魔なのかとも考えた。
「…まぁ、俺の姿を見たからには、元の生活には戻れないという事だ。」
「え、困る。僕のモテモテスーパースター街道がなくなるのは嫌だ。」
「…おまえはバカなんだな?」
「学年トップですイェーイ。」
何がなんだかわからないから、とりあえず両手でピースサインを作った。トップは嘘だった。でもこの前、7位ぐらいにはなった。
「嘘をつくな、7位だったのは割れてるんだぞ。」
「なぜわかった。」
「俺たちには神がついているからだ。」
「神」
僕はまた真顔になった。納屋は真っ暗だったが、夜目がきく僕には、忍者の目が細められたのが判った。
「いや、まあ、荒唐無稽な話だよな。えー、世界を牛耳るボスがついている、ぐらいに考えてくれ。」
「世界を牛耳るボス!?」
単語のインパクトだけで僕の心臓は高鳴った。
「なにそいつちょーおもしろそう!会えるの?その人!」
忍者のため息が聞こえた気がするけど、聞かなかったことにした。
「ってか、アサシンって何すんの?暗殺?」
それまでよりも長い間だった気がした。忍者が納屋の天井を見上げたあと、ゆらゆらと僕に近寄ってきて、目前の距離に座り込んだ。
「そうだー、暗殺だー。偉い人とかヤバい人とかぶっ殺して自分は逃げて、スケープゴートに捕まってもらう仕事だー。だからお前は人を殺すことを考えるだけでいいんだぞー。報酬もがっぽがっぽだし、きれいなパツキンのチャンネーだってはべらせ放題だぞーーー。」
突然、忍者の口調がとんでもなく投げやりになった。さっきまでの中二病みたいな口調はどこかへ行ってしまった。
「…あれ、僕、なにか、怒らせました…?」
「いや、もう帰りたいから。選べ。ほら。どっちがいい。お前にはもうデッドオアアライブ/インザダークしか残されていないぞ。」
忍者は身体を揺らして、僕の様子を見計らっている。
「あの、なんで僕なんですか?」
「神がこう言ったのだ。『世界にながれる時間より先駆けて行動できる子を間違って作っちゃったから、回収してきて☆』って。」
「回収してきて☆…ですか?」
「…そうだ。」
この忍者は本当はすごくアホなんじゃないだろうか。いくら言われたからって☆マークまで再現する必要はないんじゃないか。いやそこは問題じゃない。僕は自分の身体が少しだけ震えていることを知覚していた。

「神って人、なんで僕の事を知ってるんですか?」
「神だからだ。」

どくん、と、心臓が跳ねた。頭に声が響いている。「ヤバイ」。これはもしかしたら、本当なのかもしれない。だって、親にも否定されてきた僕のプライドを、当然のように認めてくれた存在が、今まで、いなかった。だから僕は、周りの誰にも言わなくなった。「反応早いね!」と言われて、笑って「すごいだろ」と言うだけの、ささやかな自慢になっていた。
「半信半疑だったが―――俺の脚を蹴られた事で、証明になった。」
そう喋りながら、忍者はまたナイフを取り出す。そして、その切っ先を、僕ののど元に向ける。
「他に知りたいことは?」
夜目がきく僕には、はっきりと見える。忍者の目が、まるで死神のように仄暗い輝きをしているのを。
「行きつく先は」
「…?」
忍者の目がまた細められた。怪訝な表情になったおかげで、目の輝きは変わった。

「僕がアサシンになって、行きつく先は、どこなんですか。」

「…」
ナイフを左手へ持ち替えて、忍者は頭に巻いていた布を外して、右手でぼりぼりと頭を掻いた。
「大いなるひとつの意思によって統率された―――けれども『それ』には誰も気づいていないぐらいの大らかさと愛で包まれた、地球という名の世界を構築する助けになるように動くのが、俺たちだ。」
「…」
「つまりは、だ。」
忍者はナイフをしまった。

「神に奉仕する事により、お前の理想の世界をお前の願うままに見ることができる。」

名誉でなく、勝ち得るものでなく、貪欲でない。
ひとつの理想を求めた結果、与えられ、評価され、満たされる。

そういう事だ、と。
直感的に、そんな言葉たちが忍者の目から伝わってきた。
「…テレパシーも使えるようになるんですか?」
「お前次第だ。」

忍者が僕に手を差し伸べた。吸い寄せられるように、僕はその手を取った。

そうか。僕が就きたかった仕事は、ただただ求め続けるようなものじゃない。
理想の為に尽力し、充足感を得られる仕事だ。

この日に僕は、自らの名前を捨てた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?