scent

殴り書き短編、王道な恋愛ものです。

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 足立燈佳(とうか)は、鼻が良かった。
 父はことあるごとに「足立家は忍者の末裔」と言うが、そんなもの、全国に足立さんが何人いるんだという話だ。
 それよりも、鼻である。
 十五歳の燈佳は高校に通っているが、集団生活において鼻の良さは致命的なことがある。
 たとえば、体育の授業のあと。
 男子生徒特有の、あの汗臭さといったら鼻が曲がりそうで泣きたくなる。実際、我慢できずに消臭スプレーを振ったら「酷すぎる」と非難を浴びた。
 酷いのは臭さのほうだ、自覚してほしい。
 小学生のころ、給食で出された納豆の匂いで嘔吐いたこともあるし、並んだ生徒のワキガがダメで、リバースしたこともある。
 マスクをしていても匂ってしまうそれらは、予防策がない。防ぎようがないのだ。
 高校通学で使っている電車内でも、ワキガはもちろん大量の香水、整髪料など、あまひの臭さに吐きたくなってしまう。
 とにかく、碌なことがない。

 そんな燈佳だったが、この春クラス替えをして、いいことがあった。
 同じクラスの宮内くん。彼が、ビックリくるほど「いい匂い」なのだ。
 柑橘系のサッパリした香りは、学校に来るまでに汚染されきった鼻にとても優しい。
 強制的にいやな匂いをかがされた鼻が、じんわりと癒されていくようだ。
 燈佳は今まで、臭くないのは女子だと思っていた。実際、女子の側はシャンプーなどのいい匂いが多い。臭くない。
 だけど、宮内くんはそれらを上回るほどの『いい匂い』だったのだ。
 最近、その宮内くんの、においの質が変わった。
 爽やかな柑橘系から、甘いいちごミルクのような匂いになったのだ。ほんのり酸味も感じる香りは、甘ったるくなくてちょうどいい。
 燈佳は満足していた。

「ちょっと、話、あるんだけど」
 今日もいい匂いだったなぁとうっとりしていると、匂いが声をかけてきた。
 いや、匂いじゃなくて、宮内くんだ。
「え?」
 まさか声をかけられるとは思わなくて、周囲を見回すが、燈佳は今ひとりである。友だちに声をかけて、トイレに向かっているところだった。
「えっと。わ、わたし?」
「そう。こっち、来て」
 トイレはまだ我慢できるし、休憩時間にも余裕がある。
 判断した燈佳は、匂いもとい宮内くんの後ろに続いた。
 何の用だろうかと思っていたら、人気のない渡り廊下を進み、誰もいない美術室に呼ばれる。
 ここは、油絵の具の匂いがすごくて好きになれないのだけれど。
「あのさ、足立」
 振り向いた宮内くんは、言った。
「オレのことが好きなら、早く告白してくれない?」
「…………。は?」
 宮内くん、もとい匂いが何か言い出した。は? である。ポカンだ。こいつはアホだろうか。
「まぁ、ほら。オレもさ、足立の顔、そんなに嫌いじゃないっていうか」
 アホだ。アホがいる。決定である。
「あっそ。わたしは別に、好きじゃないけど」
「はあ!?」
 宮内くんが大声を出して、燈佳はビックリした。なにをそんな驚くことがあるのだろうか。
「いや、だって。え? 好きじゃない?」
「うん」
 取り乱してる彼には悪いが、宮内くんの顔は燈佳の好みじゃない。皆はイケメンって騒いでるけど、それだけだ。
 間近で見ると、たしかにパーツは整っているけども。
「え、嘘だ! じゃ、じゃあ、なんであんな近くにいたんだよ!?」
「え? わたし、そんな近くにいた?」
「いたよ!!」
 叫ばれて、耳が痛いなぁと思いつつ、思い出してみる。
 言われてみれば、いい匂いを嗅ぎたくて側に寄っていた、かもしれない。
「いい匂いだなぁとは思ったけど」
「そっ、それだけ?」
「うん」
 頷くと、宮内くんはものすごい表情を浮かべた。王子なんてあだ名の人間が、してはいけない顔だと思う。
 言わないけど。
 そういえば、トイレに行きたい。
「ねぇ、話ってそれだけ?」
「え……う、うん……」
 宮内くんが頷いたことを確認して、「じゃあね」とトイレに向かった。

 教室に戻ると、どうしたことだろう。
 宮内くんの匂いが、変質していたのだ。雨が降る前のような、湿っぽくて重たい匂いがクラス中に充満している。
 え、なにこれ。
 いや。――いや、まさか。
 自惚れでもなんでもなく、この匂いの原因が自分、だとしたら。
 燈佳は背筋をザッと凍らせた。
 雨の匂いは、嫌いじゃない。それどころか好きな部類に入る。だけど、そんな感情を負わせているのだとしたら……。
 今朝の、いちごミルクの匂いを思い出した。ふわふわと軽い食感にも似た、可愛い香り。それが、ほんの少しの休憩時間の間に、こうも変質するなんて。
 誰にも言えない罪悪感に押し潰されそうになりながら、燈佳はその日を終えた。

 いや、まぁ。
 そうは言っても、たかが失恋? だし。
 そもそも、宮内くんは燈佳の顔を「嫌いじゃない」と言っていた。「好き」だとは言われなかった。
 別に、告白されたわけではないのだ。

 気を取り直した翌日、教室についた燈佳は愕然とした。
(悪化してる……!)
 宮内くんである。
 彼のまとう匂いが、豪雨のときのアスファルトそのものになっていた。この匂いはあまり好きじゃない。しかも、燈佳は通学のために電車という過酷な環境を経たあとである。
 嫌な匂いのダブルパンチに、さすがに心が折れそうだった。
 そっか。
 わたし、結構宮内くんの匂いに助けられてたんだなぁ。
 だけど「好きか?」と聞かれれば、そうではない。「付き合えるか?」と聞かれれば……想像もつかない、というのが正直なところだ。
 だって、考えたこともない。
 そんな相手から「好きなら早く言え」と言われて、ほかに何が言えただろう。
 宮内くんはイケメンだの王子だの言われて、ナルシストになっていたに違いない。
 決めつけた燈佳は、自分の行動がこれ以上宮内くんに勘違いさせないようにと、なるべく近づかないよう気をつけた。
 まぁ、今では嫌な匂いだから、近づこうとも思わないけれど。

 さらに翌日、宮内くんの匂いは、乾いた砂になっていた。
(何があったの!?)
 気になる。気になるけど、聞けない。
 砂場の砂より、乾いた匂い。行ったことはないけれど、もしかしたら砂漠はこういう匂いなのかもしれない。
 ややこしいことに、燈佳はこの匂いが好きだった。
 ふと気づくと、身体が勝手に宮内くんに近づこうとしてしまっている。これでは宮内くんも意識せざるを得ないだろう。
 悪かったなぁ、と思う。
 でもまぁ、誰だっていい匂いの側にはいたいだろう。たぶん。

 酢の物、若葉、紙、マーブルチョコ。
 宮内くんの匂いはいろんなものになった。以前の爽やかな柑橘系が嗅ぎたいのに、元に戻らない。
 そのくせ、遠くからジッと燈佳を見ているときがある。目が合うとふっと逸らされるけれど、その瞬間、いちごミルクが香るのだ。
 すぐに別の匂いに変わるけど、いちごミルクが紛れている。
 燈佳が近づいたとき、笑っているとき。いちごミルクが、ふわっと香るのだ。
 それが、ひどく恥ずかしい。
 ――好きだと、直接言われるよりも、よっぽど。

 いちごミルクの匂いが、宮内くんの恋心、だとしたら。

 柑橘系の香りが、いちごミルクに変化したのはいつだっただろう。
 いったい、彼はいつから燈佳が好きだったのか。
 そういえば、燈佳に話しかけてきたとき――彼の匂いは、どうだっただろう。
 油絵の具の匂いに囚われて、わからなかった。だから。

「宮内くん」
 声をかけた瞬間、彼の匂いが変わった。
「なに」
 ぶっきらぼうな声と、逸らされた視線。身体はこちらを向いているのに、決して目を合わせようとしない。
 だけど、その匂いは、甘ったるいミルクキャンディー。
「今日もいい匂い、するね」


 笑いかけると、バラの香りが広がった。





連載に行き詰まって息抜き短編。忍者設定生かす前に力尽きました(笑) 

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