0→1 #言葉の企画
伝わらないことに、諦めを抱き始めたのはいつ頃からだろうか。
投げつけられる空き缶。カッターナイフ。
罵声、罵声、罵声。
両親の喧嘩、弟の顔。病院。
あらゆる方向を警戒しながら、この年まで生きてきた。
決して、気遣いのできる子供なんかでは、なかった。
わがままを言いながら、普通にいられるなら、そうしたかった。
両親の影響で、物作りは常に身近なところにあり続けた。
鉛筆と紙さえあれば無限に世界を広げられる。
落書きの世界に没頭した。
正義感のとびきり強い少年だった。
悪いと思ったことを、すぐに口に出す。
協調性のない子供だと評価された。
子供の頃の記憶はほとんど無い。
どころか、昨日のこともあまり覚えていない。
防衛反応なのだろう。
子供心ながらに、分かり合えない人はいて、
こまめに諦める癖がついていた。
自由帳と、テスト用紙の裏を自分の妄想で埋め尽くした。
学生劇団時代
演劇を始めたのは、中学高校と見守ってくれた恩師の一押しがずっと残っていたからだった。一押しされたはいいものの、通っていた学校には演劇部はなく、劇団に入団したのは大学に入ってからだった。
周りを観察して、どうみられるか、どうしたら邪魔じゃ無いかを考え続けてきた。その思考は、非常に芝居と親和性が高く、演劇にハマっていく。
そのうち、自分の芝居だけではなく、演出。脚本にまで手を出すようになった。落書きで作り上げた世界を、友人と具現化させていく作業は面白い。
芝居の上でなら、あの日に戻って、やり直すことができる。
幸せな家庭の子供でいることも、救えなかった友達に想いを伝えることも、なんだってできる。
公演前一ヶ月を切ると、毎日が文化祭前日のように脳味噌が常に稼働し続けるようになる。
芝居の上で、理想の世界を作ればいい。
稀に、強烈に自分の思いがお客さんに届くことがある。
お客さんの解釈によるブーストがかかっていたりもするんだけど。
それでも、カーテンコールの拍手は魔物だ。
一度あの熱波、熱風を浴びると、舞台の上から離れる事ができなくなる。
『RENTAL SECERT BASE』
大学3年の頃に旧友に宛てて書いた脚本。
脚本・演出・広報・役者・衣装・パーカー・舞台監督。全部やった。
人手が足りていなかったわけでは決してない。
七夕祭りの夜、20歳になった小学校の同級生4人が秘密基地で再会する。
最後、花火職人の息子である望月が、不格好な手作り花火を打ち上げ、絶望の中にいる友人に手を差し伸べるという展開。
千秋楽。
花火は上がらなかった。
明らかに、人為的なミスだった。
あれだけ言ったのに、ただでさえ。いろいろな言葉が一瞬に駆け巡った。
しかし幕は降りていない。役者は動揺している、芝居を続けなくては。
彼を責めることはなかった。
謝られることも、なかった。
僕が信頼して任せてしまったせいだ。
ここで、また諦めた。
そうやって諦めて諦めて、瘡蓋を少しずつ少しずつ厚く硬くしてきた。
それでも、俺は舞台に立つ。
諦めても、諦めても、言葉は溢れ出てくる。
思いついたら、やらずにはいられない。
ただ1人でも、笑ってくれるなら、全力を投じる。
あの日の拍手か、あの日の熱波か。
幼少の頃からの環境か、正義感か。
僕らは、誰とも分かり合うことはできない。
嫌と言うほど思い知らされてきた。
けれどそれが、諦める理由にはならない。
自分でも、理由はわからない。
ひたすらに何かせずにはいられない。
子供の頃の夢。
俺の生まれて一番最初の将来の夢は『気象予報士』だった。
『お天気大冒険』と言う、少年とロボットが球体の乗り物に乗り、空を冒険する。その中で出てくる雲の名前を覚えて、方位磁石を持って、「あっちの空にうろこ雲だから、明日は雨になる!!」と母に教えていた。
自分の知識を活用して貢献することが大好きだった。褒められるのが、本当に嬉しかった。
俺の嬉しいとか、喜びとか、
もっというと、生き甲斐とか。
そういう理想の最小公倍数には
「他人が喜んでくれること」があるらしい。
他人が関わる以上、そこに発生するコミュニケーションを避けることはできない。
逆にコミュニケーションを支配することができれば、自分自身の生き甲斐を最大化することできるようになるのではないか。もっとたくさんの人に笑ってもらって、届けることができるのではないか。届けたい。
ボクらのハシャギ場。
大学劇団を卒業し、『劇団みずたまり』を立ち上げた。
誰もが団員を名乗っていい『秘密基地』をつくりたい。
分かり合えなくとも、分かち合うことはできるのではないか。
感情や想いをそのまま届けて、そのまま共有することはできるのではないか。
童心のままにいられる、『みずたまり』でありたいと思った。
忘れるな、なんのためにここに居るのか。
昨年、自分の伝えたかったことが伝わらず、逆に守りたかった人を傷つけてしまった。今でも夢にみる。
それから、伝え方について、言語化について、思考についての書籍を読み漁り、なんとなく理論や言葉はわかるようになってきたんだけど、実践が伴っていなかったからそこまで改善されていっている感じもしなかった。
自分以外と生の言葉に触れる機会が欲しくて、『言葉の企画2020』に参加することにした。
やりたいことは、登場人物に優しい世界を作ること。
登場人物は、劇的に世界と向き合う人たちの事。
流されて、諦めて、悲劇の主人公ぶるのは、おしまいだ。
ここから、喜劇。
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