【短編小説】大久保公園の精神科病院 第1話
ここは新宿・大久保公園。
コンサートやフードフェスティバル、マーケットが催され、バスケットボールやフットサルのコートも備え付けている、立派な区立公園だ。日中は常に活気が溢れる、明るくて文化的な場所である。
そんな公園の深夜二時、毎週水曜日になると「先生」が出没するとの噂だ。
今日は曇り空の水曜日、時刻は深夜二時である。
「先生、先生……」
重たい黒髪の少女が、ゴシック調のロリータを身に纏い、この公園へやってきた。
「どうした、また眠れないのか。お前はな、まずこんなド深夜に外をほっつき歩くな。朝起きて、昼間活動せい。行き場がないなら五千円くれてやる。西口に快活CLUBがある。そこに泊まってまずは生活リズムを立て直してこい」
随分口の悪い白衣姿の女。公園にぽつんと設置されたベンチの端に、「先生」はいた。
「でも先生、私今日は朝八時に起きて、パパ活やって夜なんです。今日は寝るところも確保できなくて……」
「そうか。泊まる金はあるのか?」
「はい、あります、先生、私……」
執拗に食い下がるゴスロリ少女。しびれを切らした「先生」は、開いたパソコンに少々文字を打ち込み、こう言った。
「私はそろそろ行くよ。ピンク、『ゼロ・ゼロ・ゼロ・イチ』。あまり凝るな」
そう言うと、「先生」はスッと立ち上がり、何かを落として去っていった。
「ありがとう、先生!」
ゴスロリ少女はそれを拾うと、「先生」の座っていた場所に千円置き、すぐに西口のほうへ走っていった。
少女が手にした物。それは、ピンク色の錠剤が入った薬のシートだった。使いかけで、まだ七つ程残っているようだ。
そう、これが大久保公園の「先生」と「患者」の光景だ。
ピンク色の錠剤は、おそらく「ハイプナイト」だろう。インドから日本へ、誰でも簡単に個人輸入できる睡眠薬だ。ただし郵便局留めはできない。家に居場所のない少年少女にとって、こんなものを自宅に配達されては困る。したがって、「先生」に代わりに買ってもらうというわけだ。親の扶養の健康保険証で勝手に精神科へ行くことが許されない子供たちにとって、「先生」は唯一の頼みの綱なのである。
三十分程すると、先生はまたベンチへと戻ってきた。
「先生、先生……」
今度は銀髪の少年が現れた。少し落ち着かない目をしている。
「お前、見ない顔だな」
少年の顔をジッと見つめた。
「はい、噂で聞きまして……。俺、先生に聞いてもらいたいことがあるんです」
少年が話し始めると、先生はジェスチャーで「待て」と言い、パソコンを開いた。
「どうした」
先生が問いかける。
「俺、最近、ちょっとおかしいんです……誰も俺のことなんて、呼んでないのに、俺を呼ぶ声が、聞こえるんです、それが、とても不気味で……この世界がどうにかなっちゃうのかと思うと、心配で、夜も眠れなくて……」
震えた声で、途切れ途切れに話す。
「……もう一度、私の顔を見て話せ。ゆっくりでいい。目を合わせろ。もう一度、同じことを繰り返せ」
先生は真剣な顔つきだ。少年の顔をまっすぐ見つめて、タッチタイピングで文字を入力する。
「えっと、俺、……ひっぐ」
少年はにわかに泣き出し、その場にしゃがみ込んでしまった。
「大丈夫だ、安心しろ。私は敵じゃない。」
ベンチから立ち上がった先生は、少年に近づくと、肩にそっと手を添えた。
「大丈夫、大丈夫だからな」
その後、三十分に亘って少年と先生は話し続けた。
「初回限定だからな」
「初回、限定……?」
少年は先生の言うことが理解できないようである。
「次からは、もっと簡単だということだ」
すると、少年はなんとなく場を理解した様子で、財布を取り出す。
「よせ」
「黄色、『イチ・イチ・イチ・ゼロ』。水色、『ゼロ・ゼロ・ゼロ・イチ』。」
先生はパソコンを閉じ、去っていった。去り際に何かを落としたのを見て、少年はそそくさとそれらを拾い上げ、どこかへ消えていった。
「先生」と呼ばれるこの女は、ここ新宿・大久保公園で「精神科医」をしている人物だ。
もちろんまともなライセンスなど持っていない。
しかし、精神疾患や薬の知識、クライエントとの接し方については、一流であった。
何らかの理由で精神科医療にかかることができない、行き場のない若者たちを救うため、週に一度・深夜二時~早朝四時にかけて活動する違法な医者だ。