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【MTG】このゲームはプロキシが許可される未来から逃れられない

1. はじめに

今何が起こっているのか?

 ここ数日で、何ループ目か分からないプロキシカードの話題でTwitterがにわかに盛り上がっていた。というのも、賞金5,000$のレガシートーナメントでプロキシを持ち込んだプレイヤーが(当然ながら)処分を受けたらしい。そこまでなら笑い話で済むのだが、この珍事に端を発して「こんな高すぎるフォーマットなんだからプロキシを黙認しろ!」という意見に一定の支持が集まり、プロキシ容認派・通常プレイヤーによるインターネット小競り合いが発生するに至っている。そんな馬鹿な……

 とはいえ、プロキシ容認派の理論は「これは釣りだろ」と思うほどにめちゃくちゃなので、それに対するぼくの考える最強の論破が集まって何となく収束するいつものTwitterとなった。いつものマジックネットウォッチングスレだ。ただし僕を含め「何かこのままじゃマズい気がする」といった違和感や危機感を本件を通して感じた人がいたんじゃないだろうか。

違和感や危機感の正体

 いくら何でもこの話題の出現頻度が高すぎる。
 これはプロキシの是非に限らず、高額カードにまつわる持つ者と持たざる者の双方向のヘイトまで……毎週何らかのボムが投下されては答えを見つけられないまま話題が収束する、を繰り返している。どれだけ行っても、TCGは生存に不必要なおもちゃ会社の商品でしかないのだから、おもちゃ会社の利益を損なう偽造品が認められる解に行きつく筈がない。それでもこの話題がループしてしまうのには、プレイヤーがTCGに求める価値の在り方が変わってきたことが共有出来ていない事に因るのではないかと考えた。

Timmy, Johnny, and Spike

 これらはWotCのR&Dチームがターゲットとなるユーザーを3種類に分類したものだ。簡単に言えばMTGのユーザーには、

  • 自分の好きなカードをプレイする事に価値を感じる人(Timmy)

  • ゲームを通じて自分を表現する事に価値を感じる人(Johnny)

  • ゲームで勝利する事に価値を感じる人(Spike)

の3分類が存在していて、企業は彼らを満足させるカードをデザインしようという指標である。そしてユーザーもまた、自身や他者がこの3分された何れに該当するかを頭の片隅に置いて(言い争いをして)いるのではないだろうか。インターネットでよく見かけるEDHの話題はこの価値観が衝突を起こしているイメージがある。

 しかしそれは20年前に定義された古い価値観であり、現代のTCGを語るには不十分な可能性がある。行き過ぎた細分化が却って分断を加速させるのには疑問だが思考を整理するための適切な切り分け方は存在するだろう。建設的な議論を行うためにも価値観をアップデートすべきタイミングに来ているのではないかと僕は感じる。その上で本稿では、プロキシが許可されるTCGの未来について是非を問いたい。


2. もう一つ上のレイヤーの価値

ゴルフみたいな趣味になっている

 友人と最近のMTGについて「今のマジックってゴルフみたいになってるやんか」という話になり、この例えに感心した。ゴルフといえば道具も高けりゃプレイするのも高い、練習するにも場所代が取られ、当日は友人たちとサウナに入ってビールを飲まずにはいられない。場所代や飲み会との共通点は言わずもがなだが、何より高い道具との共通点が良い得て妙なのである。

営業だった頃は一式揃えたが……

 ゴルフで高い道具はやはり良い性能をしていて、磨いて眺めるだけでも気分が良くなるし、中には資産価値によって高額で取引されるものもある。高い道具を揃えては「その道具の価値=自身の価値」と勘違いして、持たざる者を見下す連中がいるところまで最近のMTGに似ている。

 高いおもちゃを買った大人が恥を知らずに「高いカードを買えない奴は質が悪いから入ってくんな!」と言うのを見たことがあるが、本当のジェントルマンならそんな発言をしないだろう。まさしくゴルフクラブに自身の価値を仮託してしまう病を引き起こしている。おもちゃの値段で質の良いプレイヤーを求められるなら、ちょっと金を出せば作れるレガシーじゃなくてヴィンテージの公認大会がオススメだ。

T,J,Sはプレイ価値の細分化だ

 この資産価値が Timmy, Johnny, and Spike が唱えられた2000年前後に重要視されていなかった理由に、当時は「MTG=スタンダード」を意味していた事に一端があると思う。約2年間で多くのカードの価値は失われ、レジェンド級のカードだけがそこそこの値段でショーケースでホコリを被りながら少数のコレクターを待っているものだった。それが昨今の下環境の拡充によりプレイ価値が生まれると資産価値も引き上げられ、MTGというゲームはプレイしなくても「資産として持つ」価値がある状態となっている。

 つまり、Timmy, Johnny, and Spike は、MTGのユーザーを表す分類ではなく、あくまでプレイに重きを置くユーザーの更なる細分化である。実際にはまず「プレイ価値」と「資産価値」が上位レイヤーにあるのだ。そしてTCGをプレイする環境に恵まれている現代において、この二つの価値は不可分であり一辺倒に倒し切ることは、ゲームのUXを大幅に損なう恐れがある。


3. プロキシを許可する未来はあり得るのか

プロキシを持ち込むユーザーの姿とは?

 風呂にも入らないオタクである……という話をしたいのではない。偽造品を使ってでもMTGというゲームを楽しみたい仲間をマジメに先述の2価値に当てはめてみる。おそらくは相対的にプレイ価値を重要視しているユーザーが該当するだろう。彼らとて資産価値を感じているだろうが、プレイ価値に対して本物を購入する程ではないと考えているユーザーだ。そんなユーザーが大手を振ってMTGをプレイする事が……可能になりつつあると僕は思う。

革命が起きる瞬間

 公認大会でなくてはならない理由とは何だろうか?
 
PWポイントやレーティングシステムが無くなった今、競技シーンでプレイしない限り、小規模な大会が公認である必要性は低くなってきたと感じる。仮に店舗大会でジャッジがついて公式に則って運営してくれるなら、非公認を言い渡されても「今日非公認なんですか?別に大丈夫ですよ」と言う人が殆どだと思う。今でこそ最もプレイ人口が多いと言われているEDHでさえ「人がいる」非公認フォーマットだった。

 結局、公認大会には既存のコミュニティがあるから、ぼんやりと前例を踏襲して良しとしいるのであって、仮にプロキシ許可の非公認大会が優秀なジャッジと共に運営され、プレイヤーが増えればそこにプレイ価値が生まれて価値の逆転(いわば革命)が起きるのではないだろうか。

 実際にアメリカでは、Buffalo Chicken Dip Legacyというプロキシを許可した大会が定期的に開催されていて結構な参加者を集めている。僕は彼らの活動がMTG Gold Fishという各種カードショップへ誘導するタイプのサイトの戦略記事で紹介されていてひっくり返った記憶がある。普通は怒られが生じると思うのだが、環境理解のためという建前があり、本物を購入させるための導線として融和出来ている……らしい(良いのか?)

 この例が示すように、既に公認大会の価値を逆転せんとする動きはすぐそこまで来ている。このまま順調にシングルカードの高騰が進めば、エターナルフォーマットを遊びたい人(需要)と供給量の歪みが更に広がり、プロキシを許可する非公認大会が公認大会と並ぶ市民権を得て、ユーザーが選択する未来が待ち受けていると感じる。そうなればプロキシを持ち込むユーザーが「プレイヤー」を名乗る未来が実現する。

 規模が拡大して仮にWotCによるメスが入れば、公式のサポート工数を取り締まりの強化に使うこと・良い製品を出すことはトレードオフの関係にあり、プレイの質に影響が及ぶことは免れないだろう。

プロキシ許可の機運が高まれば

 まずは中古品を取り扱うカードショップが大打撃を受ける。
 現在はトレカの資産価値が高まったことで10年前では信じられないくらい中古を扱う店舗が増えた(=プレイ価値が向上した)が「プロキシの大会出たらよくね?」のムーブメント広がり資産価値が落ちれば、トレカ店にとっては大打撃どころか廃業に直結する。そうなれば、今のように無料でプレイスペースが提供されたり、安価に大会を運営してくれる場所は無くなる。

 ここ数年で当たり前のように享受している快適なプレイ価値は、急激な資産価値の向上と不可分な関係にある。顧客である我々と中古の売買を行う店舗間でカードの資産価値が共有出来ていて、金の匂いがするからこそ、今の我々はVIP待遇を受けている事を忘れてはならない。

そして行き着く先は

 ゲームは死ぬ。大体はおもちゃ会社が突然言い出して突然死ぬ。新弾が発売されなくなってサポートも打ち切られ、晴れて非公認大会がメジャーになったからプロキシを咎める公式も居なくなったね!という訳だ。そういう意味では全てのTCGは偽造品が許可される未来に向かっていると言える。

 極端に思われるかもしれないが、現在のTCG業界が15年程前には考えられない様相を呈している(当時は高額カードと言えば誰が買うのか分からない数十万円の《Black lotus》くらいだった)ように、次の15年後には精巧で美麗な拡張アートのプロキシが市場を作り、資産を持たずとも参加出来る非公認大会の楽しいコミュニティが出来ているのかもしれない。ただし、その数年後にそのTCG自体が残っている保証はないというだけだ。


4. 何故プロキシを公認大会に持ち込むのか

 これまでプレイ価値と資産価値というフレームワークからプロキシの是非を語ってきた。何故プロキシを公認大会に持ち込む人が現れ始めたのか?そこから問題を解決する手段があるのかを考えたい。

いくらなんでも高すぎるんじゃ!

 当たり前だが偽造品を好き好んで使用する人は少ない。それでも使わねばならない理由は中古市場の高騰に他ならない。再録禁止制度によって正規品の総量は破損によって減り続け、資産価値も高まり続けることだろう。

だって高額カードが無いから

 大規模大会優勝者のリスト(高額カードをふんだんに使った)と店舗大会で0-3したリストがこれだけ一致しているゲームは非常に珍しい。無論高額カードには高額で取引されるだけの戦略的優位性があるから揃えられるなら揃えるべきだ。しかしそれ以上に「MTGは妥協したカードを持ち込めない」という強迫観念があるように僕は感じる。ゲームもプレイヤーも競技志向にポジション取りしすぎた結果「金も出せないやつはおらが村に入ってくるんでねえ!」という息苦しい村を作ってしまっているのではないだろうか?

 3年程前にレガシーに復帰して、再録禁止カードの高騰度合と不釣り合いにTier1デッキが多い事に驚いた。僕がレガシーをプレイしていた2000年代後半と勝手が違うのは分かるが、メタデッキの集まるスタンダードのようなゲームになっているとは思わなかった。そんな環境で「金も出せない奴は入ってくんな!」というのは「俺も無いときは辛かったんだよ!」の裏返しに見える。ゲームなんだから気にするのはルールだけで良い。

 そこで件の偽造品を持ち込んだプレイヤーの「ジャッジ呼ぶな」について考えてみる。まずゲームに勝てるから喜んでジャッジを呼ばせて頂くとして、その不思議な理論からは「妥協したらコミュニティで遊ぶことが許されないんだ」という村のおっさんと同種の強迫観念が感じられる。中古市場の過熱が止まらない上、この考えに囚われている以上、偽造品を握ってでも遊びたいプレイヤーの増加を止められないだろう。


5. 問題を解決する手段はあるのか

 どうしても公認大会で既存のTier1デッキを握りたいのであれば富豪か金銭感覚の狂ったオタクになるしかない。ゴルフ用品が高くて用意出来ないんだよ!には「じゃあそれは買えないね」と返す他ないだろう。
 その一方で変えられる部分もあると僕は感じる。

分断は損しか生まない

 ここまでは偽造品はTCGの資産価値を蝕むだけでなくプレイ価値をも脅かすと書いてきた。しかしプレイ価値と資産価値は不可分であり、資産価値のみでMTGを楽しむ貯め込み屋が増えれば、プレイを希望する人がいても「高額カードを揃えられないしエターナルフォーマットはやれないよ」とプレイ人口が減って資産価値にも影響するだろう。

 そんな馬鹿なと思われるかもしれないが、数年前まで最高のデュアランと言えば《Underground Sea》を指していた。過去のプレイヤーに《Volcanic Island》が一番高いよと言っても「それタルモ出ないよ?」と怪訝な顔をされるだろう。MTGのヴィンテージ品はそれだけで資産だが、ゲームである以上、プレイ価値と明確に連動している。スタンダード落ちしてプレイ価値が大幅に減じたカードの価格はどうなっているだろうか。

 資産家に「遊びたい人に行き渡らんから売れ!プレイヤー減るぞ!」と言ったところで聞く耳を持たないだろう。それよりも「エターナルフォーマットは高額カードが無いと遊べない」という刷り込みを既存プレイヤーも新規プレイヤーも変える方が現実的だ。勿論《Volcanic Island》を4枚揃えてトップメタのデッキを使う事には揺るぎない戦略的優位性があるが、週1で友達と遊んでちょっと勝ちたい位なら無くても良いんだよ。遊んで楽しかったら集めて行けば良いんだから。

 だから「おらが村に入ってくるんでねえ!」と線を引く行為は損しか生まない。実際エターナルフォーマットのプレイヤーは直感的にそれ(新規を入れないと資産価値が落ちる)に気付いているのか新参に優しいイメージがあるデュアラン持ってないんで……なんて言おうもんなら「《沸騰》効かないじゃないっすか!」とメリットを語ってくれるだろう。中にはブツブツ文句垂れる根性の入ってないキモいオタクもいるだろうが、オタクの趣味なんだから大体1%位は変な奴が居ると思って気にしないで欲しい。それよりもフレンドリーに話せる99%と楽しいコミュニティを築けば良いのだ。

 ……いや、変な人は本当に減ったし、変な人のパワーも落ちた。昔はもっと近距離パワー型の変人が多くてさ(昔のカードショップで働いて何人も出禁にしてきたから俺こんなんいくらでも話せるよ)

融和の道を選択出来ないか

 僕は偽造品は断固として反対だ。しかしプロキシが認められている場所で利用するプロキシは完全に悪とは思えない。これは散々語ってきたプレイ価値の担保(つまりは資産価値の担保でもある)のためだ。無論プロキシ許可の非公認大会ばかりになっては先述してきた通りゲームが死ぬ。しかしプレイヤーが居なくなってもゲームは死ぬのだ。

 好例として日本国内でもプロキシを許可しているヴィンテージの大会を挙げたい。僕は直接参加した事はないが、プロキシ許可によって参加ハードルが低くなっているようで「今回の○○杯からプロキシ無くなりました!」という声とデッキ画像を見かけたことがある。何より特筆したいのが、この大会やコミュニティにケチをつける人を見たことが無い点だ。
 本当のジェントルマンは新規を優しく沼に引きずり込むし、どうやらMTGプレイヤーには「ヴィンテージはプロキシでも仕方ない」という共通認識がある気がする。それも10年以上前から。

 何故ヴィンテージならプロキシOKだと思うんだろうか?
 
ぶっちゃけ高すぎるからだ。金銭感覚の狂ったオタクでさえ容易くは手を出せない、以前から資産を持っているプレイヤーと富豪のゲームである。そこに来て今のレガシーはどうだろうか?もう十分に高すぎるゲームになってしまったと僕は思う。何なら数年後には数年前のヴィンテージくらいの金額になっている気がする。そうなれば、ヴィンテージの非公認大会を認めて、レガシーの非公認大会を批判する事に矛盾が生じる。

 これからもヴィンテージ品は高騰していくだろう。だからこそ、公認大会に持ち込まれる偽造品には厳しくパニッシュしつつも、公認大会あっての非公認大会、このバランスを保ちつつプロキシと融和していくことがエターナルフォーマットのプレイヤーには必要なのではないだろうか。


おわりに

書いていたら結論が変わった

 書き始めたら当初想定していた結論と異なる結論に行き着いた。
 読んでいて分かるだろうが僕はプロキシを肯定していない。とにかく本物を買っておもちゃ会社や中古市場に金を落とすことがプレイ体験の向上につながると考えていた。そうでなければ1万円レガシーなんてやらない。しかし思考を文字に起こしていく中で「偽造品はアウト」であるが「プロキシはプレイ価値の担保のため融和が必要」を合理的に説明出来るようになった。これは140文字で書いてても出てこなかった結論だろう。

 これはあくまで僕の考えであって答えじゃない。これを読んで思うことがあれば是非Twitterなんかで自分の考えを言語化して欲しい。楽観的すぎるとか(せっかく高額カード買ったんだからマウンティングさせろとか)色んな意見はあるだろうけどせっかくだから僕は前向きに考えたい。もう人生の大半をこのゲームに注ぎ込んでいるのだから、これからの人生も今いるプレイヤーと、まだ見ぬ新しいプレイヤーとこのゲームで遊びたいのだ。


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