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本を出したい女の話④

さて、あなたは自分自身の一番の味方になれているだろうか?自分のことは意外と気付けなかったりするのだ。ここで、あなたの大切な友達を思い浮かべてほしい。

その友達があなたに
『昨日仕事すっごく疲れて、帰ってから家の掃除もできなかった。もっとちゃんとしなきゃだよね。』と言ってきたとしよう。

あなたはその大切な友達になんと言うだろう?
『仕事おつかれさま!掃除は元気があるときにやったらいいんだよ☺️』と、その子を否定せず労わる声をかけると思う。

『本当にダメな人だよね、もっと頑張りなよ』なんて言わないはずだ。言ってるとしたら大切な友達が思い浮かぶ人生にはなっていないだろう。

でも自分に対しては、この悪魔の言葉"もっと頑張れ"を頭の中で言っていないだろうか?私はハッとした。できない自分をこれでもかというほど責めていた。『こんなこともできなかった』『ちゃんとしなきゃ』って。人に対して自然とできていることを自分に対しては出来ていなかった。

そのことに気が付いた時、私は自分を大切にしていなかったことを自覚したのだ。どうだろう?あなたはちゃんと自分のことを日々労ってあげているだろうか。

生まれたての赤ちゃんは泣いても、笑っても、眠ってても可愛いと言われる。人は本来誰しも顔の造形とか性格とか才能に関わらず愛されるべき存在。貶していい人なんかこの世に誰ひとりとしていない。だってみんな完璧じゃないから補える。助け合える。だから世界が豊かになる。

それなのに成長するにつれて、勉強ができなきゃダメとか、いい子でいなきゃ怒られるとか、個性であるはずの見た目をバカにされるとか、自分ではない赤の他人からその人の基準で評価されてしまう。その悪意ある言葉がひとつひとつ積み上がることで、本来持つ美しい心に傷がつく。

なんなんだまじで、腹立たしいな。
...ああ、危ない私情を挟んでしまった。

そうして痛みが蓄積されることで、○○出来るからここに居ていいとか、○○出来ない自分はダメだとか、条件付きでしか自分の存在意義を見つけられなくなったり、心を守るために人からどう思われるかばかりを気にして、どんどん自分らしさを見失い自己表現することが怖くなってしまう。

人を小馬鹿にして優位に立とうとする人の言葉なんぞ聞かなくていいのに、その人が自分の弱さを隠すために放った鋭利な言葉が事実なんじゃないかと、人の脳はいとも簡単に錯覚を起こす。

いいんだよ、あなたのままで。
最高に素敵で尊くて個性に溢れてる人だから。
あなたが短所だと思ってる何かは誰かにとっての長所なのだから。あなたがただそこに居てくれるだけで、救われる人もいるんだよ

まずはそのままの自分を受け入れる。
そして自分の味方となり、日々自分を労る。
これが自分に愛を循環させる1つめの方法。

いきなり自分を愛すなんて難しいかもしれない。だけどせめて日々頑張って生き抜いてる自分を責めるようなことはしないでほしい。毎日おつかれさま。今日もよく頑張ったね。

寝る前にたった一言、自分を労る言葉
『今日もありがとう、私。』と言ってあげよう。

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