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ソンミ村を訪ねて。 2023.3.17

1968年3月16日に米軍による虐殺で村のほとんどの人が殺されてしまった「ソンミ村事件」。昨年ベトナムのニュースで見るまで事件のことも知りませんでしたが、有名な写真だけは何かで見たことがありました。(ベトナム戦争から米軍が手を引くきっかけになった写真だと後で知って納得。)

当時はミライ集落という名前だったようで、事件名は英語ではMỹ Lai Massacre (ミライ大虐殺)と書くみたいです。

確か学生の頃、歴史の教科書か何かで見たと思いますが。。。こ

この人(ヒーバリーさん)が撮ったものでしょうか。なくなった殆どは女性と子供やお年寄り。どんな気持ちで撮影していたでしょうか、想像もできません。この方が翌年にlife誌に写真を提供し事件が報道され、反戦ムードが強まるきっかけとなったそうです。
一部には狂気に駆り立てられて兵士が勝手にやったような話になっていましたが、現在では調査でこの地域の住民が反抗的で見せしめに攻撃したという見方が有力となっているそうです。

ルート

ダナンからのルートはこんな。大きな道路だけだとつまらないので、ホイアンの近くをかすめるルートにしてあります。

ダナンからの道中

ダナンからしばらくは殺風景な国道?なのですが、ホイアンまで来ると湿地帯となり鳥や放牧している牛がたくさんいました。大きな橋の上からしばし鳥撮影。

坂道でサイドブレーキがないスクーターを停車するのは毎回おっかないです
コサギ?
みちを横切る牛の団体様

ホイアンから大通りを抜ける田舎道は景色最高でした♪

ベトナムは田舎道がとにかく最高です

途中道を待ちがえてチューライ空港に到着。周辺は何もなく道も空港の先で行き止まり。。。Uターンの屈辱。

チューライ空港。利用する機会は無さそうです..

止まって写真を取ったりすると意外に時間ロスが多く、小腹も減ってきたので途中でフォーを食べて一服。ソンミ村まではあと30km弱かな?

ソンミ村の近く、クアンガイに入ると河川敷で農業が盛ん、美しい景色が広がっていました。

ビニールを被せて種植え?している農地。川も綺麗でした

ついた〜!…到着したと思ったらお寺でした。

仏像みたいなのが見えててっきりココかと。ソンミ村はココから数kmでした

そ到着。google mapに間違った地点登録がされたのでチョット手間取ってしまいました。正しい場所はこちら↑

ソンミ村へ到着

木陰にバイクをまたせまして受付へ

入場料2万ドン、約120円。ガイドブックを買うようにおすすめされ購入も薄っぺらい小冊子で10万ドン(600円)。金額を聞いた時にあさっての方を見て少し間をおいたので2−3倍にぼったくっているでしょうね。よく見る仕草、間違いない(笑


場所が場所なのでお線香代ということで購入。

敷地の入口の近くには博物館

その先には慰霊碑とお寺があります。
前日が55周忌だったため式典が行われたようで、たくさんのお花とお線香が慰霊碑に備えられていました。

お寺

お寺の中には

お寺の中の犠牲者名簿らしきもの

お寺からの景色。かなり広い敷地です。集落は田畑に囲まれていたでしょうからこの辺は田んぼだったのかもしれません。

実際、施設の場所以外はソンミ村を保存した状態となっていて、畑だった所も再現されています。

博物館の中へ。

再現模型。ソンミ村とミヘ地区が攻撃されました

有名な写真が。。。右の遺体が並んでいる道はこの施設の敷地内にあります。

攻撃中の米軍兵士たち
米軍が村人に使った武器と同じもの。

事件の概要

ちょっとここで事件の概要を。アメリカ陸軍が1968年3月16日にミライ集落を襲撃し村人507人のうち504人を殺害しました。犠牲になった女性と子供は356人という酷い事件です。

1968年3月16日に、南ベトナムに展開するアメリカ陸軍のうち第23歩兵師団第11軽歩兵旅団・バーカー機動部隊隷下、第20歩兵連隊第1大隊C中隊(機動部隊には他に第1歩兵連隊第3大隊所属のA中隊と第3歩兵連隊第4大隊所属のB中隊、そして砲兵部隊があった)のウィリアム・カリー中尉率いる第1小隊が、南ベトナム・クアンガイ省ソンティン県にあるソンミ村のミライ集落(省都クアンガイの北東13km、人口507人)を襲撃し、無抵抗の村民504人[1](男性149人、妊婦を含む女性183人、乳幼児を含む子供173人)を無差別射撃などで虐殺した。集落は壊滅状態となり、生存者はわずか3人だった(生存者は2018年現在も生存している。最高齢者は事件当時43歳)。

Wikipedia


博物館にも名簿が。たった1日で虐殺された人数の多さに圧倒されます

55周年の式典の一環でしょうか、博物館外にも当時の生活がうかがえる写真や、生存者の今についてのエキシビションがありました。生き残った人たちが孫に囲まれている写真から、失われたであろうミライの大きさが感じられるよく考えられた展示でした。

生存者のお孫さん?たち。平和なベトナムに生まれてよかった。

ソンミ村

村の建物は攻撃で多くが焼失したのでしょう、保存用にコンクリートで固められたような土台だけの家がおおく、1つだけ再現されたと思われる家が立っていました。


それぞれの家には住んでいた犠牲者の名前が。

墓地もありました

当時を再現するためなのか木花も植えられていまして、知らなければきれいな公園?という場所です。

この場所の横にある小道は、博物館にあった多くの遺体の写真の場所です。

日本でも度々報道されていて、検索をすると記事はたくさん出てきました。去年まで名前も知らなかったとは。。。

この方の記事はすごく深いのでおすすめです。

この方の記事の中で書かれていた、ソンミ村があるクアンガイ省のジャングルで医療に従事したトゥイーさんの日記

ソンミ村虐殺博物館の敷地をでると、そこはベトナムのどこにでもある長閑な田舎でした。

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