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金銭面の不安解消が最優先になってしまう

先日、就労に関して一つのある決断をした。
それは「また貧乏生活をするかもしれないこと」への恐怖に突き動かされて、それをやる以外の選択肢があり得ないと思ってしまったからだった。そこで思い出したのは、高校時代の大学選びである。

高校受験で失敗して私立に入ってしまった自分は、親に多大なる負担をかけたことについて、精神的負担を感じてきた。それゆえ何があっても確実に合格できる、かつ興味関心的に通い続けることのできる、学費の安い国公立の大学・学部を探した。そして適切な学部が見つかったら、それ以外の道が全く目に入らなくなった。
視野が狭い。

しかしそうなってしまうのは、「またこうなったらどうしよう」「二度とあんな思いはしたくない」という恐怖心が原因である。私はそれを選ぶことで、その瞬間の耐え難い不安感を緩らげていたのだ。それも、実際に物理的困窮から逃れられるかは別として。
金が絡むと冷静な判断ができなくなる…。

しかし今回はそんな自分の状態を自覚できただけマシだった。
就労について決断した後、時間をかけて気持ちを落ち着け、数日後にはプランA(貧乏即回避)だけでなく、プランBとの両輪でやっていく見通しを持つことができた。
さらにプランCとして、本当に金がなくなっても昔よりは上手くやっていけるだろうと思える・・・ようになりたい。まだあまり現実味が感じられない。

さらに言えば、損得よりも、不安よりも、自分がやりたいことを常に優先すべきなんだが、まだそういう思考法は容易ではなさそうだ。

余談だが、金がなくなることが怖くなると、金が使えることを確認して安心するために、余計に金を使ってしまう人も世の中にはいるみたいだ。他にも、幼少期に親が自分に金をつかってくれなかった経験(ほしいものを買ってもらえない、やりたい習い事ができない等)が原因で、大人になってから、浪費することで自分は金をかける価値がある=無価値じゃない、と確認してしまう人もいるらしい。
自分も上記のようなことになってるかどうか、たまに気にしてみる。

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