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自分の家庭が異常だと気づくまで【後編】

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ラスト、20代中盤〜アラサーの話。


周囲に話が通じない

20代半ばにしてようやく、「どの家庭もこんなもんなんだろう」という長年の固定観念をようやく疑い始めた。なぜなら、自分の経験を他人に話すと「厳しい家庭だ」と驚かれたり、話にリアリティが感じられないためかまともに取り合ってもらえないことが、何度もあったからだ。貧困層を憐れむか見下すことしかできないブルジョワめ!新自由主義者め!と、思わざるを得ない失礼なやつもいた。しかし、どうやら価値観の違いは、必ずしも経済状況の差だけに起因するわけではないと気づき始める。

医師の助言

Q(元養育者)との共依存みたいなものも一方で継続していたので、私は電話や対面でQと交流することがあった。しかし明らかに自分が嫌な思いをしていることに、段々気づいていった。

例えば実家に帰省中、買い物のために外を一緒に歩いているQが「寒い」と言い始めた。首元に何もなかったので、マフラーを巻くようすすめたら、「いらない」という。私は念押しのため「風邪ひいても(もうすぐQの家から遠方の自宅に帰るから)看病できないよ?」と言ったら、Qは「ひどい!」といきなり怒り出した。「風邪を引いたら看病してよ」ということらしい。

心療内科に通っていたとき、医師の指示に従って、上記のようにQとのコミュニケーションが失敗したエピソードをいくつか話すと「それは必ずしもあなたの認知や行動の問題ではなく、相手が変なんじゃないか、そういう人物とは距離を取ってあまり関わらない方がいい」とアドバイスされた。

祖母の証言

祖母からも「あの子はおかしい」という話を聞いた。あんたの教育のせいもあるだろ(笑)というツッコミをこらえつつ話を聞くと、次のようなことがあったという。

祖母は娘であるQと、ある駅で待ち合わせをしていた。祖母は待ち合わせ場所の付近に到着したが、Qが現れない。そこで10分だか20分だか待っていたら、実はすぐ近くにQがいて、じーっと祖母の方を見ていたのだという。祖母は驚いて「変な子」「おかしい」と思い、私に話してみたようだ。Qのことなので、当時80代の祖母に「待ち合わせ相手を見つける」という脳トレ的な試練を与えていたつもりなのかもしれない。普通に話しかけて合流すればいいのに。彼女の行動は常軌を逸しており、もはやホラーである。

このあたりから、私の育った家庭はおかしい、というより、家庭内の唯一の他者であるQがどうやら変なようだと、少しずつではあったが、考えるようになった。

決定打となったのは、ある年の正月の一連の出来事だった。

別れを決断するまで

【嘲りと不信感】

正月、私は祖母の家にいたので、遠方に住むQと祖母が喋る機会を作ってやろうと、Qとビデオ通話をした。そのときに私とQだけで喋った内容の記録がある。Qは自分が夢中になっている漫画の話をしてきた。

[Q]に訊かれたので「ゴールデンカムイの28巻を読んでない、前の巻から読み直さないと読めない」と言ったら「意味わかんなーい(責めてるんじゃなくて、早く読んでくれなきゃその話ができないじゃんの意らしい)」と言われて、とても泣いてしまった。こちらが「違う人間なんだから否定するな」と言っても、むこうは「強くなれ」とかいう。「強くなくていいんだ」と返せば、「よわくなーるよわくなーる」「そんなの気にしてたら弱くなっちゃう」とかばかり。あとは「ごめんね」とか言うので「そうじゃない」と言って困らせてしまった。「もういい」と打ち切って、その後は話題が変わったが「早く機嫌直せよ」みたいな態度を感じ取った。

私が泣いたのは、この発言内容だけを受けてのことではない。これまでの20数年間の嫌がらせを象徴するような嘲りを、ダメ押しのように受けてしまったからである。またその後のQの対応も雑であり、私がどう感じたかを知ろうとせず、むしろ私が思い通りにならないことに苛立ちの兆しさえ見せていた点にも、何千回目かの絶望を感じた(その話を聞いて「大変だったね」と言ってくれる友人がいなかったならば、私は今でもひどい孤独感の中で戦わなければならなかっただろう、友人には本当に感謝している)。

実は、その正月のビデオ通話のいざこざの12日後に、Qが自宅を訪ねてくることになっていた。私の記録では10日前から、Qの来訪について強い不安がある旨が繰り返し書かれている。

実際にQが来て私の部屋に泊まったとき、私は緊張と不安で一睡もできなかった。もはやただのいじめっ子にしか思えなかったので、昼間も気まずかった。しかしQは、私の方に異常があるという風にしか捉えていないことが、態度から分かった。Qは自らを疑うことはしないようだった。

その約2週間後の私の記録には次のようにある。

電話するといつも[Q]の話ばかりで、自分の話が盛り上らない。こんなことをしてもすり減ってストレスになるだけだ。やめよう。会わなくてもストレスなんだ。(後略)

長らく洗脳されてきた自分も、信頼できない相手の話を聞いてやるなんてさすがにもう嫌だと思い始めたのだろう。

これら一連の正月の出来事が大きなきっかけとなり、私はQとの連絡を減らし、物理的にも距離を取るようになった。

【DVの手本】

それでもQはしつこくLINEを送ってきて、この動画がためになるから見ろだの、お前はこうやって生きろだのとうるさく、まるでストーカーだった。私のことを、自分が生き直すチャンスか何かと勘違いしているらしく、ぞっとした。

返事を5回に1回とかに減らすと、最初は「さびしい」などとしおらしくしているのに、徐々に「お前がLINEメッセージを無視するのは甘えだ」という趣旨の文句を言うようになった。とんでもない。私に甘えているのはむしろQの方である。だがQには全くその自覚がないようだった。洗脳が解けた私は、DV親の見本みたいなやつだな〜と、もはや呆れることしかできなかった。

そして私は、Qに宣言した上で相手のLINEをブロックするに至った。本当はできるだけ関係を遠ざけて絶縁したいが、祖母や親戚の理解を得なければならないのが障壁になっている。

【機能不全家族】

Qが私に甘えてるとはどういうことか、一応説明すると、昔からQは大きい赤ちゃんみたいで、私はやつの親代わりだった。つまり、Qが親の役割を果たさない機能不全家族だった。

わかりやすい例で言うと、私は朝食を作り、優しく「朝ですよ〜」と起こしてやり、ぬいぐるみで遊んでやり、赤ちゃん返りみたいな態度を取られても呆れながら付き合ってやった。また前述の通り、私が無表情や不安そうな表情でいると「機嫌を直せ」と怒られたのは、Qの側にいるときはニコニコしていろという意味なのだろう。保育士かコンパニオンみたいだ。「食事のための店を探せ」も同じだ。マネージャーみたいな扱いともとれるが、「ママお腹すいた」の亜種なのだろう。

【奴隷根性】

しかし当然、大人であるQに頼ることはあったし、子供の頃の生活費はQに依存していた。

だから上述のような、嫌すぎて今では抑圧されてしまった記憶の断片が浮かぶと、つい「Qと私との迷惑や甘えのあり方は、お互い様だったのではないか」と思いそうになる。しかし、親と未成年の子供が掛け合う負担について「お互い様だった」と並列に考える発想自体が、20年ほどかけてじっくりと私の中に植え付けられた奴隷根性に基づいているのではないかと思う。

また、経済的にQに依存することは私にとって長年の負い目であった。しかし、それこそがQによる(経済的)支配の一手段だったと言える。例えばQの銀行口座に紐づいたカードを持たされ、出費がQに把握される状況を、支配と呼ばずして何と呼ぶのか。

【関係の終了】

Qは巧妙に「お互い様だ」とか「負い目がある」と私に思わせ、それによって私がQの依存や支配を受け入れるように仕向けてきた。

その根底にあるのは「こいつは永遠にケアを提供してくれる」という思い込みであろう。Qだけではない。世の中でDVするパートナー、デートDVをする恋人、パワハラ上司、嫌味な友人、いじめっ子、セクハラ・パワハラ教員etc. は、もれなく大きな赤ちゃんで、わがままに振る舞って相手に負担をかけることを繰り返している。支配対象の感情などおかまいなしに甘え、依存している。不愉快に感じた相手に関係を切られるかもしれない可能性はあまり考えないのかもしれない。

常識では、そういったDVやモラハラをするやつらからは逃げて当然だ(よね?)。しかし酷い扱いを受けても立ち去れない、昔の私のような人はたまにいる。周囲は大抵そういう状況を過小評価して「みんな大変だから仕方ない」「あなた自身が変わればいい」などと真面目に取り合わない。酷い奴は自己啓発本を勧めてきたりする。

もちろん、良識的な人が被害の実態を理解してくれることもある。しかし「なんで嫌なことがあるのに別れないんだろう」と不審がられたり、「この人は平気なんだな」「敢えて大変な道を選ぶんだ」「本人が自分で決めたことなら仕方ないか」と見放されたりしてしまう。悲しいことだ。

だがこれは、誰かが支配者に囚われているのは本人や傍観者のせいだということを意味しない。被支配者が逃げられるのに逃げようとしないことは、その人が主人的存在に隷属させられていることの最大の証拠なのである。だから、あなたの身近にハラッサーから逃げられるのに逃げない人がいたら、それだけ支配が根深いのではないかと疑ってみてほしい。

もちろん別離のプロセスでは心身の安全を優先して慎重になるべきだが、相手との関係を終わらせるという意思か、相手が加害をやめない場合に関係を終わらせることを辞さない覚悟を持つまでは、本当に支配から逃れたことにはならないだろう。特に後者の、相手が加害をやめない場合に関係を終わらせることを辞さない覚悟は、全ての他者に対して持っていていい覚悟だろう。

そのような覚悟を持つことは、普通の人にとっては当然かもしれない。だが被虐待経験者はそれを知らずに育つと思う。私の場合は、どんな奴とでも関係は続いてしまうものだと思い込んでいて、関係を終了できることを知らなかった。アラサーにしてようやく、この世で最も嫌な奴から離れることができた。

これから私は、Qに植え付けられた条件反射や固定観念を脱ぎ捨て、常識的な思いやりなどを身につけていきたい。それにより、友人や仲間たちとの温かい関係性のなかで、支配したり支配されたりすることなく、対等にともに生きていくことができると信じている。

後記

「自分の経験を言葉で説明することが可能かどうか」を試してみた。特に前編では、食事の場面で起きたことを拙くも初めて少し言語化できたので、満足している。

人は強いストレスがかかったとき、ストレスの原因となった出来事は強く印象に残るが、うまく言語化できなくなるため「終わった過去」として処理できず、ストレスに対する反応が終了せずにトラウマ化すると聞く(不正確だったらすまん)。だから、こうして拙くても少しずつ言語化することで、自分の経験が整理されていくかもしれない。書き終わってそのような希望を得た。


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