自動思考(隠れ食べ)

朝から頭の中が暗いことでいっぱいなので、それをメモ。夕食に満足出来なくて、コンビニでドーナツとポテチを買った。母が風呂に入っている間に、それを勢いよく隠れて食べる。味わうとかあまり無い。風呂から出てきた母の顔。非難めいて、何か言いたげだが、言わない。態度から、母の思考は丸見えだが、知らないフリ。私がツラいのは、「思考が丸見え」ということと、「その私への評価と関係性が変化しない事」。母に本当に言いたいのは、「夕飯の後にお菓子を食べる私でも、許して欲しい」(他の面では頑張っている事もあるし、自分のお金だし、自分の身体だし)。でも言えない。言おうかと思ったけれど、言えないので、ここに書いている。 昔から(小さいときから)母は私に対して一辺倒で、許すとか、諦めるとか、認める、という事が無い。「食事」を(自分は)管理し、気を使っているのだから、それ以外で私が食べて、例えば食べ過ぎて身体が悪くなっても、「ほら見たことか」と優位に立ちたいのだ。(むしろそれを望んでいるようにすら感じる)「食事」に関して、私がたぶん、(普通の)人とは違う思いがどうしても、乗っかってしまうのには、そういう訳がある。「恐怖」とか「諦め」とか「恥」とかそういうネガティブな思考が、「食」に乗っかる。どんなに払おうとしても。

「生きづらさ」という点から見ると、問題は「親子関係」を他の人とも繰り返してしまうという事だろう。自分が劣等感があったり、相手に私の「食」に対する「思考」←(それは隠すべきで、健全では無いと思われる)を読み取られたくない、という時に、すごく子供じみた対応や感情表現になってしまう時がある。軽くパニックになっている。他人と「食事」をしながら、自分の「食」に対するトラウマを隠しながら、相手の事も気にしながら、という処理が、残念ながら追い付かないのだ。そして、そういう時はだいたい、「相手から攻撃されているような強迫観念」が出てきてしまい、恨んでしまったりする。でも、それも人を選ぶというか、やはり「劣等感」から出てくるものだ。「こんな私でも認めて欲しい」というのは、幼稚な思考な訳だから。もう少し考えないと。よく分からない。

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